6月19日、プロレタリア詩人・今野大力の没後七十三周年碑前祭が、詩碑が建つ旭川市常磐公園で開催され、小雨が降りしきる中約三十人が参加しました。
運営委員会の能登谷繁代表から、大力が眠る東京・多磨霊園の今野家のお墓が、東京都によって無縁墓地として処理されようとしていたことについて、大力の弟・邦男さんと和貴子さんの子である今野和文さんが継承することになったことが報告され、参加者一同胸をなでおろしました。
また、大力をめぐる取り組みでは、昨年、旭川文学資料展「旭川ゆかりの詩人・今野大力とその時代」が開催されたことや、大力とともに活動した小熊秀雄の文学賞が市民実行委員会によって引き継がれたこと、「大力碑探訪」パンフレットの二〇〇八年版(全二十頁)を作成したことなどが報告されました。
大力研究家の佐藤比左良さんは、「無類の母親思いで、母親を苦しめる貧困、その社会の仕組みを描くことで、貧しい母親たちの力になりたいと文学の道を志した大力は、後期高齢者医療制度という、世界に例のないお年より差別、姥すて山のような制度を、断じてゆるさなかったことでしょう。」と、碑前祭の栞の解題に寄せました。
能登谷代表は、今野大力やその時代のたたかいを引き継ぐものとして、再び軍靴が響く暗黒政治を復活させてはならない、社会の「蟹工船」化を許さない、貧困の打開と国民の願い実現のために全力をつくそうと呼びかけました。
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