ORさん80才、妻77才。河北新報の近くの家も焼肉店も流された。当日は、ゴオーッという音、夫を連れて2階に上がった。ドーンという音とともに家が流された。家は回転しながら、となりの家と一緒に流されるのがわかった。どこかにぶつかり、また流されの繰り返し。そのうち屋根がもっていかれ、空が見えた。ガレキに囲まれていた。
夜になり大雪になり、布団袋をかぶり寒さをしのいだ。畳に乗り、津波と余震、まわりは火の海の中で一晩過ごした。もうダメだとあきらめていた。翌朝、救助のヘリに手を振り、レスキュー隊がおぶって助け出してくれた」と語ってくれました。
奥さんは、「東京大空襲の時に荒川区を逃げ回り気仙沼で暮らすようになったのに、またこんな目に合うなんて」と目に涙をためました。
仮設に入ったが、体の不自由な夫に布団を敷いたら、妻は座布団のスペースしかない。ベッドを入れることもできない。トイレや風呂へ行くときに、段差があり転んでしまった。お年寄りや障がい者が多く入っているのだから、体が不自由な人にも対応してほしいと、訴えていました。
帰り際には、ご夫妻とも泣き出してしまいました。
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