記念事業は命日の前日18日に行われ、記念講演会に95人、碑前祭に70人、懇親会に21人の参加を得ました。
宮田汎氏の記念講演では、大力と五十嵐久弥との交流、蜂須賀小作争議などの農民運動を支援したこと、小熊秀雄との出会い、名寄新芸術家協会・北村順次郎らとの論争など、大力の思想的成長を育てた道北の人々との関わりが生き生きと描き出されました。
また、東京に行ってから「戦旗」社で激務をこなし、実践活動と文芸活動の両立に悩みながらも、大力はこつこつと作品を書き続けたことが、宮本百合子や壺井栄の作品を通して紹介されました。
大力が亡くなった後、その精神が生活図画教育(1941年生活図画事件)の中に引き継がれていることが紹介されました。
宮田氏は最後に、「日本が戦争する国になって喜ぶものはいない、ブッシュだけ、国際的に通用しない、大力たちのたたかいは今も生きている」と結びました。
文化事業では、合唱団ペニウンクルの加藤雅敏が「花に送られる」に作曲した合唱構成詩や、大力の生まれた宮城県丸森町の公民館長から寄せられた漢詩に大場岳蓉氏が節をつけた詩吟の合吟が演奏され、死を覚悟しながらも最後まで未来に希望をもって生きた大力の姿が思い浮かばされ、多くの人が目頭を熱くして聞き入り、拍手が鳴り止みませんでした。
詩碑前の碑前祭では、詩碑にその一節が刻まれてから初めて朗読された「やるせなさ」が、加藤雅敏氏の朗読で披露され、貧しさに耐えながらも文学や社会に目覚めていった20才の大力の飾らない姿が浮き彫りになりました。
懇親会には、三浦光世氏(三浦綾子記念文学館館長)も駆けつけて、それぞれの大力談に花が咲き、楽しく交流しました。
記念事業で発行された『今野大力短詩形作品集』(佐藤比左良監修)や、詩碑修繕募金の詳細は、電話0166・26・1291番までお問い合わせ下さい。
大力祭運営委員会
代表 能登谷 繁
代表 能登谷 繁
0 件のコメント:
コメントを投稿