6月29日、旭川市議会建設公営企業常任委員会は、市道神楽三条通線の移転補償をめぐる自治法98条1項にもとづく検閲検査の最終委員会を開催し、公正クラブ、公明党、日本共産党、社民クラブの提出した報告書案を可決し、自民保守系二会派と民主クラブの提案した報告書案を否決しました。
討論に立った日本共産党の能登谷繁議員は、「菅原功一市長は、中核市となって都市計画決定の権限を持ったが,事前説明会もせずに都市計画変更決定をした。神楽三条通線の南側については、元市議の意向に添って道路設計を行い、諸規定の改定も知らずに都市計画・道路設計を行い、税金をむだに使った。中核市旭川市の市長失格と言われてもしかたがない。」と述べました。
また、能登谷議員は、「2002年5月9日菅原功一市長が旭川中税務署長あてに租税特別措置法施行規則に関する文書を発行しているが、この文書に添付されている図面は、用地確定測量図面の上に、元市議らが所有する動物病院と選挙事務所を手書きで修正し、あたかも事業用地に建物が突出しているかのように改ざんした」と指摘しました。
能登谷議員によれば、市が改ざんした図面は最低でも4種類見つかっており,「これらは市議会,北海道,国、税務署までもだます行為であり,国庫補助金を不正にだまし取り,市の税金を不当に支出した。到底認められない不正行為である」と指摘し、「菅原市長の借金問題と,市が土地使用承諾問題で訴えられた弱点から,数々の逸脱行為を重ねて移転補償へと至った。市民の市政に対する信頼はさらに損なわれている。いま,改めて,市長自らが,説明責任と政治責任を明確にすべきではないか」と述べました。
2005年6月29日水曜日
2005年6月19日日曜日
<i><b>菅原市長リコール運動はじまる</b></i>
「旭川市長のリコールを成功させる会」(山本実代表)の発会式が2005年6月18日勤労者福祉会館で開かれ、120人を越える市民が参加しました。山本代表は、「菅原市長の辞職を要求する。この一点で共同を広げたい」「リコールを成立させるためには、右も左も関係なく、広範な市民の参加を広げたい」と訴えました。
初会合では、リコール運動を応援する「旭川リコールネット」の中島晃之代表が「今回は二度目、昨年の失敗を反省し、超党派の運動をめざしたい」とあいさつ、山本代表は「老骨に点滴を打って代表を引き受けた、運動の途中で倒れたらリコール葬にしてほしいと頼んである」「北海道の歴史に残る運動にしよう」と呼びかけました。
解職請求(リコール)を成功させるためには、1か月間に有権者の3分の1以上の署名が集まると住民投票が実施され、投票者の過半数の賛成で解職が成立します。旭川の有権者は約29万8千人で約10万人の署名が必要です。リコール運動を開始するまでに数千から1万を超える署名を集める人(受任者)の確保が不可欠です。
「明るい会」は、リコール運動が始まれば、その一翼を担い、全力を尽くすことを決めており、すでに署名を集める人の登録を始めています。
旭川市議会では、自民保守系、公明党、共産党、社民党、無所属の議員が菅原市長の辞職を求めており、リコール運動が始まれば同調する見込みです。
市内のあちこちでリコール運動組織がつくられ、それぞれが多様な運動を展開し、全体として見ればリコールの大きな流れが形成されていくと思われます。
初会合では、リコール運動を応援する「旭川リコールネット」の中島晃之代表が「今回は二度目、昨年の失敗を反省し、超党派の運動をめざしたい」とあいさつ、山本代表は「老骨に点滴を打って代表を引き受けた、運動の途中で倒れたらリコール葬にしてほしいと頼んである」「北海道の歴史に残る運動にしよう」と呼びかけました。
解職請求(リコール)を成功させるためには、1か月間に有権者の3分の1以上の署名が集まると住民投票が実施され、投票者の過半数の賛成で解職が成立します。旭川の有権者は約29万8千人で約10万人の署名が必要です。リコール運動を開始するまでに数千から1万を超える署名を集める人(受任者)の確保が不可欠です。
「明るい会」は、リコール運動が始まれば、その一翼を担い、全力を尽くすことを決めており、すでに署名を集める人の登録を始めています。
旭川市議会では、自民保守系、公明党、共産党、社民党、無所属の議員が菅原市長の辞職を求めており、リコール運動が始まれば同調する見込みです。
市内のあちこちでリコール運動組織がつくられ、それぞれが多様な運動を展開し、全体として見ればリコールの大きな流れが形成されていくと思われます。
<b>今野大力没後70周年記念事業</b>
6月19日に没後七十周年を迎えた、プロレタリア詩人今野大力を記念して講演会や文化事業、碑前祭が実行委員会(河合剛俊実行委員長)主催で開催されました。
記念事業は命日の前日18日に行われ、記念講演会に95人、碑前祭に70人、懇親会に21人の参加を得ました。
宮田汎氏の記念講演では、大力と五十嵐久弥との交流、蜂須賀小作争議などの農民運動を支援したこと、小熊秀雄との出会い、名寄新芸術家協会・北村順次郎らとの論争など、大力の思想的成長を育てた道北の人々との関わりが生き生きと描き出されました。
また、東京に行ってから「戦旗」社で激務をこなし、実践活動と文芸活動の両立に悩みながらも、大力はこつこつと作品を書き続けたことが、宮本百合子や壺井栄の作品を通して紹介されました。
大力が亡くなった後、その精神が生活図画教育(1941年生活図画事件)の中に引き継がれていることが紹介されました。
宮田氏は最後に、「日本が戦争する国になって喜ぶものはいない、ブッシュだけ、国際的に通用しない、大力たちのたたかいは今も生きている」と結びました。
文化事業では、合唱団ペニウンクルの加藤雅敏が「花に送られる」に作曲した合唱構成詩や、大力の生まれた宮城県丸森町の公民館長から寄せられた漢詩に大場岳蓉氏が節をつけた詩吟の合吟が演奏され、死を覚悟しながらも最後まで未来に希望をもって生きた大力の姿が思い浮かばされ、多くの人が目頭を熱くして聞き入り、拍手が鳴り止みませんでした。
詩碑前の碑前祭では、詩碑にその一節が刻まれてから初めて朗読された「やるせなさ」が、加藤雅敏氏の朗読で披露され、貧しさに耐えながらも文学や社会に目覚めていった20才の大力の飾らない姿が浮き彫りになりました。
懇親会には、三浦光世氏(三浦綾子記念文学館館長)も駆けつけて、それぞれの大力談に花が咲き、楽しく交流しました。
記念事業で発行された『今野大力短詩形作品集』(佐藤比左良監修)や、詩碑修繕募金の詳細は、電話0166・26・1291番までお問い合わせ下さい。
記念事業は命日の前日18日に行われ、記念講演会に95人、碑前祭に70人、懇親会に21人の参加を得ました。
宮田汎氏の記念講演では、大力と五十嵐久弥との交流、蜂須賀小作争議などの農民運動を支援したこと、小熊秀雄との出会い、名寄新芸術家協会・北村順次郎らとの論争など、大力の思想的成長を育てた道北の人々との関わりが生き生きと描き出されました。
また、東京に行ってから「戦旗」社で激務をこなし、実践活動と文芸活動の両立に悩みながらも、大力はこつこつと作品を書き続けたことが、宮本百合子や壺井栄の作品を通して紹介されました。
大力が亡くなった後、その精神が生活図画教育(1941年生活図画事件)の中に引き継がれていることが紹介されました。
宮田氏は最後に、「日本が戦争する国になって喜ぶものはいない、ブッシュだけ、国際的に通用しない、大力たちのたたかいは今も生きている」と結びました。
文化事業では、合唱団ペニウンクルの加藤雅敏が「花に送られる」に作曲した合唱構成詩や、大力の生まれた宮城県丸森町の公民館長から寄せられた漢詩に大場岳蓉氏が節をつけた詩吟の合吟が演奏され、死を覚悟しながらも最後まで未来に希望をもって生きた大力の姿が思い浮かばされ、多くの人が目頭を熱くして聞き入り、拍手が鳴り止みませんでした。
詩碑前の碑前祭では、詩碑にその一節が刻まれてから初めて朗読された「やるせなさ」が、加藤雅敏氏の朗読で披露され、貧しさに耐えながらも文学や社会に目覚めていった20才の大力の飾らない姿が浮き彫りになりました。
懇親会には、三浦光世氏(三浦綾子記念文学館館長)も駆けつけて、それぞれの大力談に花が咲き、楽しく交流しました。
記念事業で発行された『今野大力短詩形作品集』(佐藤比左良監修)や、詩碑修繕募金の詳細は、電話0166・26・1291番までお問い合わせ下さい。
大力祭運営委員会
代表 能登谷 繁
代表 能登谷 繁
2005年6月17日金曜日
<i><b>神楽3条通</b></i> 建設常任委の質疑
旭川市議会は16、17日、神楽三条通の移転補償問題で委員会の最終質疑がおこなわれました。能登谷繁議員が、図面や説明書などを改ざんしたと指摘し、市は元市議が関係する選挙事務所や動物病院が道路用地に突出しているように「わかりやく示す」ため、「平面図を修正した」ことを認め、菅原功一市長が陳謝しました。
神楽三条通線の移転補償問題は、菅原市長が元市議から「三千万円を返せ」と訴えられ、一円も返済されていないのに和解、その後、元市議氏らに2億円以上の移転補償費が支払われた問題であり、先の第1回定例会で、地方自治法98条1項の検閲検査権限が建設公営企業常任委員会に付与され、検査が行われてきました。
能登谷繁議員は、市長が前日の質疑で他の議員に対し「部の行っていたこと」「報告を受けたこともない」と答弁したが、実際には専決者として判子を押して決済し、事業をすすめる立場だったのではないかと追求し、菅原功一市長は「判子を押して決済した」事実を認めました。
能登谷議員は、「平成13年に市の委託業者が作製した用地平面図では、元市議の関係する動物病院と選挙事務所は道路用地に接していない。しかし、議会に提出した図面や、北海道に説明に使った図面は、2つとも用地に突出している。元市議に補償しやすくするために改ざんしたのではないか」と迫りました。市は「2つとも実際に突出している。わかりやすく説明するため強調した図面を作った」と認めました。
また、能登谷議員は道路幅が当初の都市計画に比べ2メートル拡幅された点について、市は「道の街路事業要領が改正され、道との下協議で指導されたため拡幅した」と説明していたが、要領では変更することが必須ではなく、決定権は旭川市にあり、市の判断で変更したはずと追求し、市は最終的に「市が判断した」ことを認めました。
さらに、北海道に対する説明に成果品の説明書を改ざんして使用したことや、その結果を「道が了承した」「元市議の補償をすすめてほしい」など、事実無根の報告を復命書に添付していたことも明らかになっています。
これらの質疑を受けて、菅原功一市長は、「(図面が)元のものでない、成果品の形になっていないなど、反省しなければならない。申し訳ない。事務の改善を真剣にやる。」と陳謝しましたが、自らの責任には触れませんでした。
神楽三条通線の移転補償問題は、菅原市長が元市議から「三千万円を返せ」と訴えられ、一円も返済されていないのに和解、その後、元市議氏らに2億円以上の移転補償費が支払われた問題であり、先の第1回定例会で、地方自治法98条1項の検閲検査権限が建設公営企業常任委員会に付与され、検査が行われてきました。
能登谷繁議員は、市長が前日の質疑で他の議員に対し「部の行っていたこと」「報告を受けたこともない」と答弁したが、実際には専決者として判子を押して決済し、事業をすすめる立場だったのではないかと追求し、菅原功一市長は「判子を押して決済した」事実を認めました。
能登谷議員は、「平成13年に市の委託業者が作製した用地平面図では、元市議の関係する動物病院と選挙事務所は道路用地に接していない。しかし、議会に提出した図面や、北海道に説明に使った図面は、2つとも用地に突出している。元市議に補償しやすくするために改ざんしたのではないか」と迫りました。市は「2つとも実際に突出している。わかりやすく説明するため強調した図面を作った」と認めました。
また、能登谷議員は道路幅が当初の都市計画に比べ2メートル拡幅された点について、市は「道の街路事業要領が改正され、道との下協議で指導されたため拡幅した」と説明していたが、要領では変更することが必須ではなく、決定権は旭川市にあり、市の判断で変更したはずと追求し、市は最終的に「市が判断した」ことを認めました。
さらに、北海道に対する説明に成果品の説明書を改ざんして使用したことや、その結果を「道が了承した」「元市議の補償をすすめてほしい」など、事実無根の報告を復命書に添付していたことも明らかになっています。
これらの質疑を受けて、菅原功一市長は、「(図面が)元のものでない、成果品の形になっていないなど、反省しなければならない。申し訳ない。事務の改善を真剣にやる。」と陳謝しましたが、自らの責任には触れませんでした。