2008年7月30日水曜日

洞爺湖サミットは気候変動問題にいかに立ち向かえるか

 2008年G8サミットNGOフォーラム環境ユニット「気候ネットワーク」が主催する「洞爺湖サミットは気候変動問題にいかに立ち向かえるか」に参加しました。(7月7日) 
 日本の温暖化対策における課題について、アメリカのオルデン・メイヤー氏が基調報告、ドイツ環境と開発に関するドイツNGOフォーラム代表のユルゲン・マイヤー氏、気候ネットワークの浅岡美恵氏、2008年G8サミットNGOフォーラム副代表の鮎川ゆりか氏、北海道グリーンファンド事務局長の鈴木亨氏などがパネリストで発言しました。
 全体を通じて、日本は地球環境問題では後進国であり、今年6月に発表した福田ビジョンの「数値のからくり」には、海外から失望の声が上がっていることを痛感しました。
 経団連のいいなりにCo2の削減目標を決めていることについては、ドイツやアメリカの代表者も「けいだんれんKEIDANREN」と発音しているのには驚かされました。具体的な削減に不可欠である中期目標の数値設定についてもアメリカの顔色を見ているため、あいまいな態度に終始していることも、各国の代表者はお見通しでした。
 写真左から、真下紀子道議、浅岡美恵氏、のとや繁市議、佐々木卓也市議。

 EUの90年比で20%のCO2削減目標に対し、福田ビジョンは削減目標を05年比で14%削減を目標としています。しかし、中期目標を先延ばしにしただけでなく、90年から7.7%も増加している05年を基準に設定したことは、過去の排出増加を帳消しにするものになっています。さらに森林吸収分として3.8%を入れ込み、実質削減は4%にすぎないという「数値のからくり」です。
 日本の14%削減目標が、実際は京都議定書よりも小さな削減率の4%を目標にしているにすぎないものであることが暴露され、各国のパネリストが厳しく批判していました。
 オルデン・メイヤー氏は最新の科学が先進国に求めた90年比で2020年までに25%から40%削減という目標とは全くかけ離れた数値であり、環境産業は16兆円の市場、産業の発展との共存を強調しました。
 鈴木氏は風力発電の普及のために固定買取価格制度によって地域・市民が支えるエネルギーの可能性や、電力会社が送電線を使わせない問題などを語りました。
 浅岡氏は主要政党の政策も出そろい、まさに政治の力が試されるときであり、国民参加の下でポストサミットキャンペーンを広げていこうと呼びかけました。

飢餓・食糧危機をつくったのは新自由主義

 G8に連動して開かれた市民サミット「飢餓・食糧危機セミナー」に参加しました。日本の農民運動全国連合会(農民連)、農林業と食糧・健康を守る全国連絡会(食健連)、世界的な農民組織であるビア・カンペシーナなどが主催し、7月7日に開催されました。
 各国の代表による活発な議論の中で一致していたことは、現状の食糧危機を起こした原因は、多国籍企業による食糧投機、新しいエネルギー資源としてのアグロ燃料の開発であるということでした。これら食糧危機の主要な原因はG8の政府、WTO,世界銀行や他の機関により進められた新自由主義政策による影響である。多国籍企業の代弁者であるG8の会合で、飢餓・食糧問題も地球温暖化問題も解決の道筋を示すことは出来ないだろうと、口々に語られていました。
 写真はスペイン・バスク地方からの参加者の発言。

 バングラディッシュから参加した農民代表は「食糧危機は自然災害ではなく人工的問題、公平に分配されていないことが問題。飢餓人口は10億人となり、多くがアジアに住んでいる。多国籍企業の利益を代表するG8の政策こそが温暖化を引き起こした。いまこそ、小規模農家、農業が食料を供給し、地球を冷やす。団結・連帯をグローバライズしよう。」と語りました。
 タイの農民代表は、「農家は320万世帯が貧困、130万世帯が土地を持たず、160万世帯がわずかな土地しか所有していない。コメの価格は上がっても、売値は安く、買って食べるコメは2倍。輸入自由化、遺伝子組み換え作物など、新自由主義の方向は破滅に導く。世界の食料における市場依存をやめるべき。種や作法の自由・自己決定権と公正な貿易、生産システムの多様化が必要と訴えました。
 スペイン・バスク地方の労働団体の代表は、「食糧危機(フードクライシス)は人道的問題。自然災害ではなく人工的飢餓は初めて。新自由主義が、食の選択、食文化も破壊し、生物の多様性さえも破壊している。ヨーロッパも農民が減少し、失業が問題となっている。食料生産農民の減少が飢餓につながる。農業人口を増やすことが重要。」とのべました。
討論では、鹿児島の茶畑で有機農業にとり組む女性が、有機農業や産直の活動を通して、小規模農家のとりくみを広げていることなどが報告されました。

2008年7月26日土曜日

車イスバスケットボールに感動!

 6月7、8日に「第一回旭川カップ・車イスバスケットボール全道大会」が旭川市総合体育館で開催されました。
 のとや繁議員は、旭川市議会文化スポーツ議員連盟事務局長として、開会式、懇親会などであいさつしました。
 2日間白熱した試合が展開され、バスケットボールの楽しさと、車イスが激走するスピード感に感動しました。今回の大会は、男女も年齢も区別なく、障害のあるなしも区別なく参加できるオープン大会であり、まさにバリアフリーを体感しました。地元旭川から参加した旭川リバーズAが2位、旭川リバーズBが3位となり、応援にも力が入りました。
 第一回の大会でしたが、今後も継続し広げていけるように応援したいと思います。


2008年7月11日金曜日

今野大力 没後73周年碑前祭

 6月19日、プロレタリア詩人・今野大力の没後七十三周年碑前祭が、詩碑が建つ旭川市常磐公園で開催され、小雨が降りしきる中約三十人が参加しました。
 運営委員会の能登谷繁代表から、大力が眠る東京・多磨霊園の今野家のお墓が、東京都によって無縁墓地として処理されようとしていたことについて、大力の弟・邦男さんと和貴子さんの子である今野和文さんが継承することになったことが報告され、参加者一同胸をなでおろしました。


 また、大力をめぐる取り組みでは、昨年、旭川文学資料展「旭川ゆかりの詩人・今野大力とその時代」が開催されたことや、大力とともに活動した小熊秀雄の文学賞が市民実行委員会によって引き継がれたこと、「大力碑探訪」パンフレットの二〇〇八年版(全二十頁)を作成したことなどが報告されました。
 大力研究家の佐藤比左良さんは、「無類の母親思いで、母親を苦しめる貧困、その社会の仕組みを描くことで、貧しい母親たちの力になりたいと文学の道を志した大力は、後期高齢者医療制度という、世界に例のないお年より差別、姥すて山のような制度を、断じてゆるさなかったことでしょう。」と、碑前祭の栞の解題に寄せました。
 能登谷代表は、今野大力やその時代のたたかいを引き継ぐものとして、再び軍靴が響く暗黒政治を復活させてはならない、社会の「蟹工船」化を許さない、貧困の打開と国民の願い実現のために全力をつくそうと呼びかけました。