2011年6月12日日曜日

義母と孫を救うために海へ                 着の身着のまま、早く一時金を

仮設住宅で暮らすOさん。震災時は民主商工会の集団申請で高台にある市民会館にいましたが、地震直後に海の方に走った。近所の人から「そっちに行ったらダメ、車に乗って」と誘われたが、義母と孫を助けるために一目散。もう100mのところで、義弟たちの車に出会い、義母と孫も助けたことがわかり車で逃げた。弟の車に出合わなかったら助からなかった。

海から100mくらいのところでかまぼこ店を経営。家だけは残っていると思っていた。火災が落ち着いた2日後に高台から見ると、家も工場も何もなかった。亡くなった夫が残したサルスベリの木が1本だけ残っていたので自分の家だとわかった。気仙沼中学校に避難していた。いろいろ不自由だったが、大変ありがたかった。

 かまぼこ屋の工場も機械も流された。1千万円や2万円では再建できない。商売をどうするか、先が見えない。仮設住宅には入れたが、着の身着のままで来たので、早く一時金を出してほしいとのこと。

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