2011年6月11日土曜日

電気を通してカツオの荷揚げを

続いて、東北電力気仙沼営業所を訪問。カツオの荷揚げのために、製氷会社や加工場への通電を急ぐように要請しました。製氷会社などは優先的に進める考えだが、ガレキ撤去、浸水箇所の対応が必要とのこと。特に浸水、冠水箇所には電柱を建てられない、仮設道路でも難しい、市の道路整備とも連携して検討すると回答がありました。

カツオの荷揚げしたい

1日の調査で、気仙沼市の魚市場を再開して、今が旬のカツオの荷揚げをしたいというのが関係者の願いであることがわかりました。しかし、市場を再開し、荷揚げしても、氷をつくり、荷さばきや加工できなければ流通できず、市場周辺の水道の回復、電力の回復が課題になっていました。

 2日、地元の秋山市議とともに気仙沼市の水道事業所を調査、公民館を仮事務所にしていました。一般住宅の水道回復率は80%。孤立している地域が残っているが、問題はガレキの撤去、各戸の止水を行い、通水試験を行う必要があるとのこと。

 カツオの荷揚げのためには6月中旬に市場を動かす必要がある、水道の復旧を急ぐよう申し入れました。

水道事業所は、製氷会社や加工場にはなんとか通水したい、港町は冠水しているため水道管を敷設できない、露出管も含めて検討したいとの回答がありました。

のとや繁市議が復興支援


海岸線は壊滅的被害


のとや繁市議は東日本大震災の復興支援のために、真下紀子道議、小田一郎道議団事務局長とともに、6月1日から4日まで宮城県気仙沼市、岩手県住田町、陸前高田市などを訪問し、被災状況や避難生活の現状、今後の復興課題の調査に東奔西走しました。

気仙沼市では魚市場の早期再開の要請を受けて、市水道事業所や東北電力気仙沼営業所への要請も行いました。

人間らしい生活へ再建するため、頑張る決意を新たにしました。

壊滅的被害に言葉が出ない


花巻空港から気仙沼へ。災害対策本部の秋山善治郎市議の案内で被災状況を視察。水産加工場周辺は壊滅的被害、あちこちに船が乗り上げ、県道をふさいでいました。崩壊した冷凍庫のまわりに、今も3万トンの魚が眠っています。ビニールなどに包装されているため海洋投棄が出来ず、大変な腐敗臭が漂っていました。

鹿折(ししおり)地区は未だに焼け焦げた臭い、乗り上げた船が住宅街をなぎ倒した跡。あまりの悲惨さに言葉が出なくなりました。

2011年6月10日金曜日

川を境に死んだ街

5月31日現在、気仙沼市の被災状況は死亡964人、行方不明522人、避難3738人でした。

1日目の帰り道、再び被災のひどい地域を通りました。川を境に死んだ街と生きている街に分かれています。何とも言えない苦しさに胸が押しつぶされそうになりました。

透析で札幌へ 医療連携に感謝

 人工透析の患者さんからお話しを伺いました。

 気仙沼市立病院から札幌の病院に移り、最近ようやく地元に戻ったとのこと。市立病院では被災後、透析時間を半分に減らし対応していましたが、電力も薬剤も不足し透析治療が継続できなくなりました。10日間連絡つかず透析出来なかった人もいたとのこと。

 北海道に自衛隊の輸送機で80人が渡った。尽力していただいた道腎協や透析医会に大変感謝しているとのことでした。


サンマ漁再開したいーー避難所で急きょ相談会

岬の突端にある鶴ケ浦の避難所には14名が滞在、食事のみの方が24名いました。当初は100人近くいましたが、4月に入りフェリーで対岸に移動したとのこと。

地元の秋山市議とともに訪問すると、すぐに輪ができて、急きょ相談会になりました。漁業関係者が多く避難していて、「宮城県知事の漁業特区構想はとんでもない」、「被災者のことを考えていない」と批判が噴出しました。

また、サンマ漁再開のためロシアの中古船を購入したいが、公的補助がどうなるか相談されました。早速、真下道議が道庁から情報をとり、具体的な対応の方法を示し、大変喜ばれました。

震災後初の写真「こんな時は笑った方がいいのかな」

日本共産党気仙沼ボランティアセンターには北海道からの支援物資が一杯に積まれて、元気に活動していました。センターでは衣服、靴、食器などに仕分け、地元の人に提供しています。

ボランティアセンターに来ていたSさんからお話を伺いました。夫の実家にいたので大丈夫だった。チリ地震の津波を経験したので、自分の家は大丈夫だと思っていた。高台に登って見ると自分の家が流れるのが見えた。波がかぶったと思ったらもう家が流れ、街中が流れていた

身一つで箸の一膳も待たずに避難所暮らし、2か月経ってようやく家を借りられた。位牌も写真も持ち出せなかった。最初は生きているだけで良いと思ったが、長くなると色々必要になる。生活用具は全国からの支援物資で賄った。

Sさんは、被災の身で支援物資の仕分けを手伝っています。

地元の方と一緒に写真撮影。「震災後初めて写真撮るわ」、「こんな時は笑った方がいいのかな」などの声もあがり、厳しい中でも、少し和みました。