ラベル 今野大力コーナー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 今野大力コーナー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年6月20日金曜日

没後90年今野大力碑前祭

 

 旭川ゆかりの詩人・今野大力没後九〇周年碑前祭が19日、常磐公園の詩碑前で執り行われました。

 献花、黙祷に続き、能登谷繁・大力祭運営委員長の報告、大力の作品「一疋の昆虫」の朗読がおこなわれました。

 来賓として、田村司・旭川市教育委員会社会教育部長、石田尚利・日本共産党旭川地区委員長、河村和枝・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本事務局長、氏家正実・小熊秀雄賞市民実行委員会実行委員長から御挨拶いただきました。

 能登谷・運営委員長は、「いま日本の国は、大軍拡を行い、敵基地攻撃能力をもち、自衛隊を米軍の指揮下にすることを認め、戦争する国への衣替えを着々と進めています。しかし、かつての日本のような戦争国家に戻ることがあってはなりません。私たちは、いまこそ憲法をいかして戦争のない平和な社会を築くために力を合わせるとき」と訴えました。

 また、「今年の秋には没後90周年の記念講演を予定し、傷みが激しい詩碑の修繕にも取り組む予定」と、協力を呼びかけました。

2025年5月30日金曜日

いま小熊秀雄・今野大力




 「いま小熊秀雄・今野大力」が出版され、小熊秀雄賞市民実行委員会の氏家正実・実行委員長の記事が30日付の北海道新聞地方版に掲載されました。

大力祭運営委員長として私の拙文も掲載していただきました。

旭川ゆかりの二人の詩人小熊秀雄と今野大力。戦争に向かう時代に抗いながら、詩を書き、文化運動に邁進した、その生き方や魅力が満載の書です。歴代の小熊賞受賞詩人の寄稿文も珠玉です。

大力祭運営委員会でも100冊ほど預かっていますのでご用命ください。


2021年7月25日日曜日

今野大力、没後86周年の碑前祭

 


 6月30日、詩人・今野大力の没後86周年の碑前祭。

 今野大力は当時の治安維持法によって、逮捕投獄され、拷問を受けて重症となり、生死をさまよいました。その後も、闘病生活をつづけながらも編集の仕事などで闘いつづけましたが、病気の悪化によって、1935年6月19日、31歳の若さで亡くなりました。
 大力祭運営委員会の能登谷繁委員長は、「大力たちが、命がけで警鐘を鳴らしたように、戦争する国づくりは許さない、ふたたび戦前の暗黒時代に後戻りさせないために、この旭川からも声を高く上げていきたい」と述べました。
 また今年は、運営委員の佐藤比左良氏、今村登氏が御逝去されたことが報告されました。

2016年6月19日日曜日

今野大力 没後81周年碑前祭


 6月19日、旭川ゆかりのプロレタリア詩人今野大力が亡くなってから81年になりました。大力祭運営委員会(代表:能登谷繁)が常磐公園内の詩碑前で碑前祭を開催しました。
 献花、黙祷のあと、「一疋の昆虫」の朗読が行われ、教育委員会社会教育部長の高橋いずみ様、北海道議会議員の真下紀子様、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎本部長からご挨拶をいただきました。
 今野大力は、戦争に突き進む時代の中で、労働者や農民が豊かにくらせる社会、戦争のない平和な社会を夢見ながら、詩を書き、雑誌の編集などに打ち込みました。 
大力は治安維持法下の弾圧がもとで31歳の若さで倒れましたが、その精神や生き方を今日に引き継いでいきたいと思います。

2016年4月10日日曜日

アーサー・ビナードさんの講演会


 4月10日、詩人のアーサー・ビナード氏を迎えて、今野大力没後80周年記念講演会を開催し、約180人に参加していただきました。
アーサーさんのお話しは圧巻でした。
 社会に対する鋭い眼、大力の作品についても新しい発見があり、文学の多様性、人々が生きていくことに対する温かい心など、熱気が溢れていました。
大力の「一疋の昆虫」がガガンボという昆虫だろうと会場を巻き込んで明らかにしました。
 英訳も考えているとのこと、期待してます。

2014年6月19日木曜日

詩人 今野大力 没後79周年


 プロレタリア詩人・今野大力の没後79周年を記念した大力祭が19日、常磐公園の詩碑前で行われ、30数人が出席しました。来賓として旭川市教育委員会社会教育部長の野村斉氏、日本共産党北海道議会議員の真下紀子氏が出席し、ご挨拶をいただきました。
 能登谷繁大力祭運営委員長は、安倍自公政権の暴走で、戦争か平和かの歴史的な岐路に立っている。『海外で戦争する国』への大転換を、国民多数の声に耳を貸さず、国会でのまともな議論もなしに、与党だけの密室協議を通じて、一内閣の判断で強行するなど、憲法を破壊する行為と言わなければならない。大力は「凍土を噛む」で「殺す相手も/殺される相手も/同じ労働者の仲間/おれたちにはいま仲間を殺す理由はない/この戦争をやめろ」と「満州事変」を糾弾した。いつも貧しい農民や労働者の若者が戦争の犠牲になること、相手も同じ仲間だという立場で戦争反対の立場を貫いた。憲法9条の「歯止め」がはずれたら、日本も「殺し、殺される」国になってしまう。昔の帝国憲法に逆戻りさせてはならない、世界に誇る日本の宝、憲法9条を守るために、ともに力をつくすことを呼びかけました

2013年6月17日月曜日

今野大力没後78年周年碑前祭

旭川が生んだプロレタリア詩人・今野大力が亡くなって78年を刻むことになります。
今年も命日の6 月19日に常磐公園内の今野大力詩碑前で碑前祭を開催いたします。

何かとご多用中とは存じますが、ご出席いただければ幸いです。

今野大力没後78周年碑前祭
 
 日程 6月19日(水)午後6時(30分程度)
 場所 常磐公園内「今野大力詩碑」前(常磐館の横)

2012年6月20日水曜日

現代に通じる今野大力の魅力               没後七十七周年の碑前祭

6月19日、旭川ゆかりのプロレタリア詩人・今野大力の没後77周年の大力祭が、旭川市常盤公園内にある「今野大力詩碑」前で開催され、40人が参加しました。
この日は大力の甥にあたる遺族の方も参列し、教育委員会社会教育部長の河合伸子氏、日本共産党6区国政相談室長のおぎう和敏氏、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の宮田汎氏が来賓として挨拶しました。
献花に続いて、詩の朗読は、加藤雅敏氏によって「学校」が読まれ、「獄中の同志も、療養所の患者も、思想が鍛えられる。大力は強い気力を最後まで失わなかった」(佐藤比左良氏の解説)状況が、現代の私たちに通じる迫力がありました。
参加者からは、大力の作品の朗読会を開催してほしい、文庫本を出版して作品を広く普及したい、80周年には大力をテーマにした演劇をやりたいなど、多彩な意見も出され、交流しました。

2011年6月24日金曜日

今野大力没後76年碑前祭  

プロレタリア詩人・今野大力の没後76年周年碑前祭が命日の6月19日に、旭川市常磐公園内に建てられた詩碑前で開催されました。大力祭運営委員会(能登谷繁委員長)によって、毎年この日に営まれ、今年は25人が参列しました。

黙とう、献花に続き、旭川市教育委員会の河合伸子社会教育部長、日本共産党の真下紀子道議が挨拶し、長年に渡り今野大力研究に取り組んできた佐藤比左良さんが「旭川市文化功労賞」を受賞されたことや、昨年の没後75周年記念事業で佐相憲一氏の『21世紀に生きる今野大力』と題した記念講演が大きな感動を呼んだことなどが讃えられました。

能登谷繁運営委員長は、東日本大震災、大地震、大津波に加えて、人災である原発事故まで加わり、日本社会はまさに国難とも言うべき事態。こういう困難な時だからこそ、大力が謳ったように「時代の先駆をした」と言えるような働きをしたい、日本中の力を合わせて人間らしい復興を遂げるために頑張りたいと述べました。

2010年8月5日木曜日

佐相憲一氏が記念講演  今野大力没後75周年

今年は、旭川が生んだプロレタリア詩人今野大力の没後75周年にあたります。11月13日(土)、大力祭運営委員会が中心になりながら、広く呼びかけて実行委員会をつくり、記念事業に取り組むことになりました。

記念講演は、小熊秀雄賞を受賞されている佐相憲一氏(詩人会議)にお願いしています。

文化事業として、加藤雅敏さんが作曲した大力の詩をモチーフにした合唱曲4曲を、合唱団ぺニウンクルに演奏していただく予定です。

 ● 11月13日(土)午後2時から4時30分ころまで

 ● ときわ市民ホール(旭川市5条4丁目)

 ● 資料代500円

佐相憲一氏のプロフィール

1968年横浜生まれ。早稲田大学卒業。
横浜、東京、京都、大阪を経て、現在東京在住。
詩集『愛、ゴマフアザラ詩』(小熊秀雄賞)、『永遠の渡来人』、『心臓の星』、『港』など6冊。
詩誌「COAL SACK」共同編集人
個人詩誌『進化論』編集発行。
『詩と思想』『いのちの籠』『軸』などに執筆。
日本現代詩人会、日本詩人クラブ、関西詩人協会、旭川文学資料友の会、池袋モンパルナスの会、戦争と平和を考える詩の会、詩人会議、各会員。

2010年6月28日月曜日

プロレタリア詩人今野大力を追悼


 旭川出身のプロレタリア詩人今野大力の没後75周年「大力祭」が、命日の6月19日に旭川市常磐公園内の詩碑前で開かれ、市民33人が参加しました。
 献花、黙祷に続いて「死んだ妹に寄せて」が朗読され、各界を代表して旭川市教育委員会の河合伸子社会教育部長、旭川文学資料友の会の菅野浩事務局長、日本共産党から真下紀子北海道議会議員が挨拶しました。
 大力祭運営委員長の能登谷繁市議は「今年は没後75周年の節目の年。今年10月に記念行事に取り組み、記念講演や大力の詩をテーマにした合唱などを検討している。かつて大力が新しい時代を切り拓き、人々の暮らしや平和に生きる権利を守ろうと、命をかけた闘いや、その作品を、今日に継承し、大いに広げていきたい」と報告しました。
 また、「いま、歴史的な参議院選挙の闘いの中、くらしと平和の真の守り手、大力の闘いの継承者である日本共産党の前進のために、力をつくす決意です」と述べました。

2008年7月11日金曜日

今野大力 没後73周年碑前祭

 6月19日、プロレタリア詩人・今野大力の没後七十三周年碑前祭が、詩碑が建つ旭川市常磐公園で開催され、小雨が降りしきる中約三十人が参加しました。
 運営委員会の能登谷繁代表から、大力が眠る東京・多磨霊園の今野家のお墓が、東京都によって無縁墓地として処理されようとしていたことについて、大力の弟・邦男さんと和貴子さんの子である今野和文さんが継承することになったことが報告され、参加者一同胸をなでおろしました。


 また、大力をめぐる取り組みでは、昨年、旭川文学資料展「旭川ゆかりの詩人・今野大力とその時代」が開催されたことや、大力とともに活動した小熊秀雄の文学賞が市民実行委員会によって引き継がれたこと、「大力碑探訪」パンフレットの二〇〇八年版(全二十頁)を作成したことなどが報告されました。
 大力研究家の佐藤比左良さんは、「無類の母親思いで、母親を苦しめる貧困、その社会の仕組みを描くことで、貧しい母親たちの力になりたいと文学の道を志した大力は、後期高齢者医療制度という、世界に例のないお年より差別、姥すて山のような制度を、断じてゆるさなかったことでしょう。」と、碑前祭の栞の解題に寄せました。
 能登谷代表は、今野大力やその時代のたたかいを引き継ぐものとして、再び軍靴が響く暗黒政治を復活させてはならない、社会の「蟹工船」化を許さない、貧困の打開と国民の願い実現のために全力をつくそうと呼びかけました。

2007年6月23日土曜日

今野大力没後72周年墓前祭と碑前祭

 
 不屈のプロレタリア詩人今野大力の没後72周年にあたり、6月16日に墓前祭(東京・小金井市)と、19の命日に碑前祭(北海道・旭川市)がそれぞれ開催されました。
 今年は開催にあたり、それぞれの実行委員会から連帯のメッセージを交換し合いました。また、多磨霊園の今野家のお墓が、維持管理する遺族との連絡が途絶え、墓の存続が心配されている中で、遺族探しや存続のための任意団体づくりの課題が急務となっていることなど、今後双方で連携しあうことも報告されました。
 写真上は、参加者で記念撮影。下は運営委員会からの報告をするのとや繁。


 旭川の大力祭運営委員会代表の能登谷繁は、「今野大力の生涯は、絶対的天皇制権力の弾圧に屈せず、侵略戦争に反対し、平和と民主主義のたたかいであり、また、家族を愛し、花の詩人とも言われたものでした。しかし、旭川の第二師団からイラクへ派兵されたことや、自衛隊の情報保全隊が第二師団にも存在し、市民の活動を監視していることを知ったら、大力はどんなに嘆くでしょうか。再び軍靴が響く街になるのだろうか、旭川市の平和通が師団通に逆戻りしないか、自衛隊員の母はどんな想いでいるのか、さぞかし胸を痛めることだろうと思います。憲法を変えてはいけない、特高や憲兵が蠢く暗黒政治を復活させてはならないと、駆け出したことでしょう。後に続く私たちが、いまこそ大力たちの生きた時代とその闘いを生かす時だと決意し、今度の参議院選挙でも、安倍政権の国民いじめの暴走とそれに追随する勢力にしっかりと審判を下すため、力の限りたたかいたい」と挨拶しました。
 今年の碑前祭の詩は、遺品の原稿の中から発見された「たたかひの中に」を朗読しました。大力祭の栞に掲載された大力研究家の佐藤比左良氏の解説では、「旭川から家族を呼び寄せた1933年頃の作品」、「憲法九条を踏みにじり、高齢者や障がい者など弱いものいじめをする者たちを、大力は絶対に許しません」と記されています。

2006年7月8日土曜日

71周年碑前祭で初めて合唱

 
6月19日、プロレタリア詩人・今野大力の没後71周年の碑前祭が開催され、霧雨が降りしきる中37人が参加しました。
運営委員会は、昨年の70周年記念事業で詩碑の台座の修繕を行い、宮田汎氏の記念講演の内容を中心にした70周年記念報告集「今野大力を育んだ道北の人々と闘い−今日の私たちへの贈り物−」を発行させながら、この日の碑前祭を迎えました。
今年は初めて詩碑前で合唱が行われ、碑文に刻まれた「やるせなさ」を、加藤雅敏氏の作曲、合唱団ペニウンクルの演奏で披露しました。
 また、東京都多摩霊園の大力のお墓が無縁仏になりかねない状況にあり、遺族の情報収集が求められていることが報告されました。
 能登谷繁運営委員会代表は、いま憲法や教育基本法の改悪、現代の治安維持法と言われる「共謀罪」法案など、歴史を逆流させようとする勢力が軍靴を鳴らし行進している。私たちは、時代の先駆をなした大力たちのたたかいをきっぱりと対峙し、この旭川の街から憲法九条を守る闘いや、市民のくらしを守る運動を大きく広げていこうと呼びかけました。


2005年6月19日日曜日

<b>今野大力没後70周年記念事業</b>

 6月19日に没後七十周年を迎えた、プロレタリア詩人今野大力を記念して講演会や文化事業、碑前祭が実行委員会(河合剛俊実行委員長)主催で開催されました。
 記念事業は命日の前日18日に行われ、記念講演会に95人、碑前祭に70人、懇親会に21人の参加を得ました。




 宮田汎氏の記念講演では、大力と五十嵐久弥との交流、蜂須賀小作争議などの農民運動を支援したこと、小熊秀雄との出会い、名寄新芸術家協会・北村順次郎らとの論争など、大力の思想的成長を育てた道北の人々との関わりが生き生きと描き出されました。
 また、東京に行ってから「戦旗」社で激務をこなし、実践活動と文芸活動の両立に悩みながらも、大力はこつこつと作品を書き続けたことが、宮本百合子や壺井栄の作品を通して紹介されました。
 大力が亡くなった後、その精神が生活図画教育(1941年生活図画事件)の中に引き継がれていることが紹介されました。
 宮田氏は最後に、「日本が戦争する国になって喜ぶものはいない、ブッシュだけ、国際的に通用しない、大力たちのたたかいは今も生きている」と結びました。
 文化事業では、合唱団ペニウンクルの加藤雅敏が「花に送られる」に作曲した合唱構成詩や、大力の生まれた宮城県丸森町の公民館長から寄せられた漢詩に大場岳蓉氏が節をつけた詩吟の合吟が演奏され、死を覚悟しながらも最後まで未来に希望をもって生きた大力の姿が思い浮かばされ、多くの人が目頭を熱くして聞き入り、拍手が鳴り止みませんでした。
 詩碑前の碑前祭では、詩碑にその一節が刻まれてから初めて朗読された「やるせなさ」が、加藤雅敏氏の朗読で披露され、貧しさに耐えながらも文学や社会に目覚めていった20才の大力の飾らない姿が浮き彫りになりました。
 懇親会には、三浦光世氏(三浦綾子記念文学館館長)も駆けつけて、それぞれの大力談に花が咲き、楽しく交流しました。 
 記念事業で発行された『今野大力短詩形作品集』(佐藤比左良監修)や、詩碑修繕募金の詳細は、電話0166・26・1291番までお問い合わせ下さい。
大力祭運営委員会
代表 能登谷 繁