2010年12月19日日曜日

国保料引き下げ  能登谷議員に市長が約束

 12月6日の市議会一般質問では、のとや繁議員の質問に、西川将人市長が「来年度の予算編成に向け、(国保料の)軽減を図る」と答弁し、新年度から国保料の引き下げを約束しました。

能登谷議員は、今年度の国保会計の決算見通しが約4億円の黒字になり、3年連続で合計約18億円の黒字なることを明らかにし、また、旭川民主商工会のみなさんが中心になって、一万七千筆以上の「国保料引き下げを求める」請願署名が議会に届けられていることも紹介しながら、市民の切実な願いに答えて、国保料の引き下げを決断するよう求めました。

西川市長は、「国保に加入している人たちの切実な声を十分に受け止めた上で、一般会計からの繰り入れのあり方や方法も含めて検討する」と答えました。

党市議団はこれまでも、小松晃団長を先頭に定例会ごとに「全道主要都市で最も高い国保料を引き下げるべき」と質疑を行ってきました。一年がかりの議会論戦と市民運動の中で、この日の市長の約束となりました。

市民からは「行政の厚い壁をこじ開けることができた」、「本当に下がるのか、署名して良かった」など、喜ぶ声があがっています。

2010年10月28日木曜日

「北の恵み 食べマルシェ」に79万人

今年は、旭川村、永山村、神居村が開村して120周年にあたります。926日に120周年記念式典が開催され、各分野の功労者の表彰などが行われました。

109日から11日にかけては、「北の恵み 食べマルシェ」が開催され、旭川市とゆかりの国内外の都市や、道北地方の各自治体が参加し、駅から買物公園、七条緑道、常磐公園までが出店でいっぱいになり、コメを中心とした食文化の祭典が行われました。

買物公園にこんなに人が集まったのは初めて見ました。3日間で約79万人の参加者で賑わいました。

写真上は、120周年シンボルキャラクターで、愛称は募集中です。下は、旭川駅前に南さつま市のみなさんが制作した砂像です。

2010年10月27日水曜日

国保料引き下げの署名 奮闘中

 旭川市の国保料は所得に占める割合が2割を超え、道内主要都市の中で一番高い保険料になっています。

 このため市役所の窓口には連日納付相談に訪れる市民の姿が見られます。

 旭川民主商工会にも「高すぎて、払いたくても払いきれない」という相談が相次いでいます。

 旭川民商の石田尚利事務局長は「国保料が払えなくなるのは、そもそも国保料が高いからです。旭川市の国保特別会計の単年度収支は年間で十四億円の黒字す。西川市長も月の市議会で具体的に保険料削減に努力していきたいと引き下げに言及しました。市長に約束を守らせるためにも請願署名を広げたい」と力が入ります。現在、一万筆を越えた署名をさらに広げるため奮闘中です。

子ども医療費の無料化を 新婦人がこどもを連れて交渉

 新日本婦人の会旭川支部は、子育て中のお母さんたちを中心に十二人が七日、子どもの手を引き、赤ちゃんを抱き、旭川市に要望書を提出し、交渉しました。

「子ども医療費の自己負担を小学校卒業まで無料に」「子宮頸がんワクチン助成制度の実現を」「ヒブワクチン接種への全額公費助成」の三項目です。

同日、党市議団とも懇談し、子育て支援策などについて率直な意見交換を行いました。

市長選は候補擁立断念 共産党が声明

10月8「明るい旭川の会」117日投票の旭川市長選に候補擁立を見送ること決定しました。同日、党地区常任委員会声明発表されましので、一部を紹介します

 党は明るい会に結集し、月から討議を開始してきました。西川市政の評価を中心に検討し、市政を前に進めるために、会としてどういう態度で市長選に臨むのか、を集中的に討議してきました。地方選を直前にひかえ、会の主体的力量も直視し、西川市政に表れた「変化」にも注目し、市民の運動をすすめて、市政を前に進める道をとることとし、候補擁立は断念しました。

 市長選の現在の様相は、現職の西川氏、前市議でみんなの党の推薦をうけた安住氏、自民党推薦の佐々木氏の3人の争いになると見られています。

 各陣営から発表される政策や公開討論会などの論点については、明るい会や党などが紹介し、投票のさいの参考にしてもらうように努力すること確認されています。

2010年10月26日火曜日

議会基本条例で全議員協議

10月5日、議会基本条例を審議するため、市議会は議員協議会を開催し、全議員による討議を行いました。

 これまで、議会基本条例検討委員会によって一年間に渡って議論され、各会派からの意見や、市民説明会での意見を受け、この度、第二次素案をまとめ議論に付したものです。

 今後は、11月14日に市民説明会を開催し、最終案をとりまとめ、12月の第4回定例会で議決する方向で取り組んでいます。

領土問題意見書 のとや議員賛成討論

 第三回定例会に党市議団が提案した意見書は、「領土問題」、「地上デジタル移行策」「子宮頸がんの公費助成」「国保の国庫負担の増額」「公契約法の早期制定」の五本全てが可決しました。

 領土問題の意見書は公正クラブと共同提案し、のとや議員が賛成討論を行いました。

国保料の引き下げを!!

第三回定例市議会では、日本共産党市議団は、市民の収入が一千億円以上も減少していることを指摘し、国保料の引き下げや子ども医療費の助成拡大など、市民生活支援を強化すべきと求めました。

のとや議員の総括質疑に、西川市長は鉄道高架について今後新たに数億円の削減を行うことを明らかにしました

格差と貧困が広がるなかで、市民生活を守ることが市政の重要な課題となっています。中でも、200万円の所得(3人家族)で45万円にもなる国保料の引き下げは市民にとって切実な課題です。

 一方、国保会計は2年間で14億円の黒字となっており「国保料を大幅に引き下げることは可能」という日本共産党市議団の主張に市民の共感が広がってきています。

 市長に「軽減に具体的に努力する」と答弁させたことも大きな成果です。

 また、子ども医療費を小学校卒業まで無料にすべき、公共施設の修繕事業を地域の中小業者に幅広く発注すべきという質疑にも期待の声が寄せられています。

2010年9月25日土曜日

給与1千億円の減 新たな雇用対策を  大綱質疑から

のとや繁議員は9月21日、日本共産党旭川市議団を代表して2009年度決算のための大綱質疑に立ちました。

市民のくらしや市内経済の状況について、この12年間で法人税の額はおよそ半分に減少し、給与収入額は二割減の約1,087億円減少している実態が、明らかになりました。

市の発注する公共事業では、全体額の88%が市内の企業に発注され、北彩都の土地区画整理事業でも84%、しかし、鉄道高架事業では市内企業への発注が0%(ゼロ)であることが明らかになりました。

さらに、鉄道高架事業はこれまでも大幅な見直しが求められてきましたが、2009年度にはコスト縮減の努力もなかったことが明らかになりました。

のとや議員は、小規模事業者への発注の徹底をはかること、決算で生まれた剰余金を使い、市内経済や雇用環境に配慮し、独自の雇用対策を打つべきであると求めました。

西川市長は「小規模修繕登録業者への発注が十分でない」と認め、「具体的な効果が得られるよう努めてまいります」と述べました。雇用対策については、「地域の経済動向や国の経済対策を踏まえ、総合的に判断していきたい」と答えました。

11月にワンストップサービスディ開催  大綱質疑から

2009年度派遣切りなどで大量の失業者が巷にあふれ、党市議団が要求し、年末年始に緊急相談窓口(ワンストップサービス)が実現しました。その後、ハローワークや上川総合振興局なども含めた「協議会」が立ち上がっています。

9月21日、のとや繁議員の大綱質疑の中で、市は、今年11月頃にも新たにワンストップサービスディを開催することを明らかになりました。

介護施設の整備について  大綱質疑から

 のとや繁議員は9月21日の大綱質疑に立ち、介護保険がスタートして10年が経過した中で、特別養護老人ホームはなかなか整備が進まず、介護保険導入直前の2000年には待機者が195人だったのが、現在は1170人に増加していることを明らかにしました。

 一方で、グループホームなどの介護施設は相当数増えましたが、特養待機者は減らないという実態。また、聴覚障害者の場合、手話を言語として使いますが、利用できる高齢者施設がほとんどない実態があります。

介護施設の整備については、もっと行政としての調整機能を発揮すべきではないかと、改善を求めました。

市は「特養を200床、特定施設入居者生活介護を300床の増床をめざしている」と答えました。

2010年9月7日火曜日

作柄調査 なんとか平年並み近く

 9月6日、のとや繁市議は、真下紀子道議や旭川市議団とともに、市内永山の農家の作柄調査を行いました。上川農業改良普及センターや、旭川市農政部が対応しました。

今年の気象は、高温、日照不足、降水量が多いため、コメにも野菜にも大きな影響が出ていました。

永山地区で稲作の試験圃場を経営している大西秀雄さんの圃場では、「異常な気象の中で茎数が少なく心配しましたが、籾が大きく、捻実が十分なため、なんとか平年並みに近い作柄を見込んでいる」とのことでした。

おなじく永山地区で野菜の生産をおこなっている森谷久男さんは、「30℃以上の高温が一週間も続いたので、路地もののセロリが5回中3回もダメになった。今年一番の痛手だった。20年やっていて一番ひどい」と述べました。ハウスのトルコ桔梗は、葉がちぢれ、「二週間の遅れが出ている、お彼岸に間に合わない」、「灯油燃料の大型扇風機をまわしても採算が合わない」と実情を語りました。

暑さ対策の具体的な内容や、「いもち病」「地ノミ」の発生状況、市場価格の動向など、具体的に聞かせていただきました。

2010年9月5日日曜日

農民組合運動発祥の地 ペーパンで碑前祭

月4日、農民運動北海道連合会の主催による「北海道農民組合運動発祥の地」の碑前祭が、旭川市東旭川町豊田で行われました。

1925(大正14年9月5日、この地に日本農民組合関東同盟米飯支部が結成され、封建的な地主制度の厳しい搾取をうちやぶる北海道農民の自覚的なたたかいが始まり、農民運動組織として確立されました。北海道農民組合運動の輝かしい曙として、苦難にたおれた先覚をしのび、歴史の原点を永く記念するため石碑が建立され、毎年碑前祭が行われています。

この日は、関係者の遺族や地元の東旭川農協の役員、石碑を管理している市民委員会のみなさん、全道各地の農民連の仲間など、二十数名が参列しました。

日本共産党から能登谷繁旭川市議、猿子昌正上川地区委員長、生出栄東神楽町議が出席し、交流しました。

2010年9月4日土曜日

高等養護誘致運動 今が山場

93日、のとや繁市議は、真下紀子道議や旭川市議団とともに、道立高等養護学校誘致の実現にむけて、期成会の会長でもある西川将人旭川市長に申し入れしました。

現在、旭川市に居住している知的等の障害のある子どもが、中学校卒業後に美深、雨竜、小平など遠方の道立高等養護学校(特別支援学校高等部)に就学することを余儀なくされ、今年4月現在で80名を超えています。

障害のある子どもにとって親元から遠く離れ、寄宿舎での集団生活という環境の大きな変化もあって、本人と家族の不安な気持ちと経済的な負担は計り知れないものがあります。「障害のある子どもたちも、ほかの子どもたちと同じように自宅から通いたい。通わせたい。」という、子どもや家族の切実な願いを実現し、真に公平であたたかい教育環境を確立していくために、旭川市への道立高等養護学校の設置を早期に実現するよう、特段の努力を申し入れました。

特に、特に校舎の選定が難航する場合などは仮校舎を選定し対応にあたることや、市民団体の「高等養護をつくる会」など当事者団体との話し合いや情報提供を綿密にしていくことなどを求めました。

 西川市長は、「山場は今年度中だと認識しています。仮校舎も含めて合意が必要と思っています。どうしてもやる覚悟をもっています」と述べました。

2010年9月1日水曜日

にぎやかに健康まつり

829日、道北勤医協一条通病院の健康まつりが開催されました。

日本共産党からは、真下紀子道議と、のとや繁・太田元美・小松晃の各市議が参加しました。

暑い中の開催でしたが、各友の会ごとの出店やステージのにぎやかな催しなどで、大変盛り上がっていました。

写真は、美瑛友の会のじょうずなメロン売りに釣られているところです。とてもおいしいメロンでした。

千代田地域でつどい

822日、千代田地域2ヶ所で「くらしと政治を語るつどい」が開催され、合わせて27人が参加しました。のとや繁市議と真下紀子道議が参加しました。

懇談の中では、国民健康保険料が全道一高い実態や、介護保険の要介護認定が実際より低く判定され介護タクシーが利用できないなどの問題が話題になりました。子宮頸がんのワクチンを無料にしてほしい、大型開発ばかりではなく地元業者に仕事がまわるようにしてほしいなど、具体的な要望も沢山だされました。

2010年8月25日水曜日

おぴったまつりで交流

 8月21日、障害者の自立と社会参加をめざして、障害者福祉センターで「第6回おぴったまつり」が開催されました。
 のとや繁市議は毎年参加し、交流しています。
 今年は、旭川市に高等養護学校を誘致する運動も広がる中のお祭りとなり、一段と盛り上がっている様子でした。
 各障害者団体が出店している模擬店はどこも大変な賑わいでした。
 あちこちで声をかけていただき、沢山交流することができました。来年も楽しみです。

2010年8月21日土曜日

東光小 留守家庭児童会 第3オープン

 旭川市は、東光小学校の留守家庭児童会の待機者を解消するために、第三児童会を整備し、8月2日からスタートさせました。
 のとや繁議員が第一回定例会で取り上げ、新年度に留守家庭児童会の待機者が出ると指摘し、全市の実態を把握し、緊急の対策を行うよう求めていました。
 新学期が始っても問題が解決されず、党市議団として五月、「留守家庭児童会の待機者解消を求める要望書」を市に提出し、高瀬善朗副市長は「早急に判断し、民間からの賃貸も含めて対応したい」と述べていました。

 今回は、東光小に子どもを通わせている父母からのとや議員に要望が寄せられ、すぐ議会で取り上げさせていただいたことが実ったものです。

2010年8月17日火曜日

オーバー・ザ・レインボー 黒岳登山

 813日お盆休みを利用して、妻と二人で黒岳に登りました。

 台風が去ったばかりでしたので天候が心配されましたが、とりあえず登山口まで行き、様子を見ることにしました。

ロープウェーの途中で虹が出ていましたが、虹を越えて、リフトに乗り継ぎ、七合目まで行きました。小雨が降っていましたが、山の上に晴れ間が広がっているので、登山決行。

1984メートルの黒岳頂上で小休止をとり、石室まで足を伸ばし、昼食を取りました。

花のシーズンは過ぎていましたので、チングルマは既に綿毛をつけていました。イワウメ、エゾノツガサクラ、ミヤマキンバイなどが、あちこちで咲いていました。青紫のダイセツトリカブトは七合目から頂上まで、どこでも目だっていました。

下山後はもちろん、黒岳の湯につかり、ゆっくりしてきました。

2010年8月16日月曜日

上川農試を視察

 811日、のとや繁は、真下紀子道議や市議団とともに上川農業試験場を視察しました。菊地治巳場長などから説明を聞き、圃場を視察しました。
 上川農業試験場は、今年4月から独立行政法人になりましたが、創立から124年経過し、「上川農試」と言えば品種改良と言われるほど、コメの品種改良の研究が主な事業です。育成したオリジナルの水稲品種は「上育464号」まで数え、農林水産省水稲育種指定試験地としてのプロジェクトにも取り組んでいます。「きらら397」「ゆめぴりか」など数々の優良品種を開発してきました。

また、上川・天北の広域で多様な気象条件に適した米、もち米、園芸作物などの研究開発とともに保存・展示も行っています。
 今後の課題として、食味だけでなく「いもち病」に強いコメの研究や、農家の高齢化や担い手不足に対応した直播(じかまき)栽培の対応も必要になっているとのことでした。

2010年8月10日火曜日

未来につなぐ森づくり

810日、札幌市で開催された「未来につなぐ森づくりの集い」に出席し、北海道における森林・林業の活性化について学びました。
●基調講演『持続可能な森林づくりのために』講演者/黒瀧 秀久 教授
 (東京農業大学オホーツクキャンパス 生物産業学部環境経済学研究室)
●ディスカッション(鼎談)『森・人・地域へのYell(エール)』
 浜田 久美子 氏(森林ライター、NPO共存の森ネットワーク理事)
 山本 牧 氏(NPO森林再生ネットワーク理事、ヒグマの会副会長)
 黒瀧 秀久 教授
●基調講演と鼎談の中から学んだこと
 森の叫びが都市の市民に届かない現状があります。木を切ることは環境破壊、悪いことと思っている市民もいるとのこと。森林の成り立ちや、林業の現場を見せる、木が住宅になるまでの循環を見せるなど、もっとエンドユーザーに向けての情報発信が必要です。
 林業の制度や補助金が現場の感覚とズレている現状もあります。補助金の範囲でしか手がかけられない実情もあります。
 産業としての大きな問題は、農産物と違い、林業には国境措置がない、フリー・トレードであり、これでは海外の木や木以外の材料と競い合いになり、採算が取れないのが現状。
 行政の側でも現場をもっと理解する必要があります。スウェーデンのシステムのように林業の現場を経験してから、チェックする立場に立つべきではないかとも指摘されました。
 森林再生ネットの山本牧氏は、旭川市に山林をもち、市民と森林を結びつける活動を展開しています。森林教室の開催や提案型の森林整備なども行っています。旭川市としても、大いに力を借りたいところです。

2010年8月5日木曜日

佐相憲一氏が記念講演  今野大力没後75周年

今年は、旭川が生んだプロレタリア詩人今野大力の没後75周年にあたります。11月13日(土)、大力祭運営委員会が中心になりながら、広く呼びかけて実行委員会をつくり、記念事業に取り組むことになりました。

記念講演は、小熊秀雄賞を受賞されている佐相憲一氏(詩人会議)にお願いしています。

文化事業として、加藤雅敏さんが作曲した大力の詩をモチーフにした合唱曲4曲を、合唱団ぺニウンクルに演奏していただく予定です。

 ● 11月13日(土)午後2時から4時30分ころまで

 ● ときわ市民ホール(旭川市5条4丁目)

 ● 資料代500円

佐相憲一氏のプロフィール

1968年横浜生まれ。早稲田大学卒業。
横浜、東京、京都、大阪を経て、現在東京在住。
詩集『愛、ゴマフアザラ詩』(小熊秀雄賞)、『永遠の渡来人』、『心臓の星』、『港』など6冊。
詩誌「COAL SACK」共同編集人
個人詩誌『進化論』編集発行。
『詩と思想』『いのちの籠』『軸』などに執筆。
日本現代詩人会、日本詩人クラブ、関西詩人協会、旭川文学資料友の会、池袋モンパルナスの会、戦争と平和を考える詩の会、詩人会議、各会員。

2010年7月30日金曜日

強権的な取立てやめよ

 7月23日、日本共産党市議団は強権的な市税、国保料の徴収を改めるよう税務部長に申し入れました。
 市民から「期限内に納付しないと差し押さえすると云われ困っている」との相談が相次ぎ寄せられています。
 市議団は申し入れの中で、税務部が、預金などがあれば即座に差し押さえを実施しようとし、預金等がない市民に対してはわずかな給料をも差し押さえようとしている実態を指摘し、「期限内納付を強要する」やり方を改善するよう求めました。

2010年7月14日水曜日

市民の願い実現に全力


 参議院選挙で応援していただいたみなさん、大変ありがとうございました。暑い最中の猛奮闘にもかかわらず、日本共産党の議席を後退させてしまったことは、心からお詫びしなければなりません。特に、医療・福祉のエキスパートである小池晃さんを落としたのはつらい思いで一杯です。
 みなさんの率直な意見をいただきながら、真摯に反省し、内外の議論をつくし、今後の闘いに活かしていけるようにしたいと思います。
 昨年の総選挙で、国民は自公政権に退場の審判をくだし、今回の参院選では民主党政権にきびしい審判をくだしました。私達が、消費税増税反対や普天間基地の撤去など、国民の願いに応えた論戦を展開したことが活きたものだと思います。
 今後は、選挙戦のなかで訴えた公約の実現のため、地方からも草の根からの運動を広げ、市民の身近な願い実現のために全力をつくす決意です。
 写真は選挙後の13日の朝に宣伝したもの、左から太田元美、石川厚子、真下紀子、のとや繁の各氏。

2010年6月28日月曜日

プロレタリア詩人今野大力を追悼


 旭川出身のプロレタリア詩人今野大力の没後75周年「大力祭」が、命日の6月19日に旭川市常磐公園内の詩碑前で開かれ、市民33人が参加しました。
 献花、黙祷に続いて「死んだ妹に寄せて」が朗読され、各界を代表して旭川市教育委員会の河合伸子社会教育部長、旭川文学資料友の会の菅野浩事務局長、日本共産党から真下紀子北海道議会議員が挨拶しました。
 大力祭運営委員長の能登谷繁市議は「今年は没後75周年の節目の年。今年10月に記念行事に取り組み、記念講演や大力の詩をテーマにした合唱などを検討している。かつて大力が新しい時代を切り拓き、人々の暮らしや平和に生きる権利を守ろうと、命をかけた闘いや、その作品を、今日に継承し、大いに広げていきたい」と報告しました。
 また、「いま、歴史的な参議院選挙の闘いの中、くらしと平和の真の守り手、大力の闘いの継承者である日本共産党の前進のために、力をつくす決意です」と述べました。

2010年6月19日土曜日

旭川を障害者スポーツのメッカに 銀メダリストが議場報告


 6月18日、第2回定例会の初日のお昼休みを利用して、旭川市議会文化スポーツ議員連盟(会長:のとや繁)主催の議場報告会が開催され、バンクバーパラリンピックのアイススレッジホッケー銀メダリスト、永瀬充、三澤英司、両選手のお話を伺いました。議員や市職員、市民、70数名が参加しました。
 三澤選手は「後悔しない人生を送りたい」と決意しアイススレッジホッケーを始めたこと、「旭川を障害者スポーツのメッカにしたい」という言葉に共感し2年前に旭川に移住してきたことなどを語って下さいました。
 永瀬選手は高校1年生の時に難病が発症し、人生一番楽しいときをつらい思いで過ごした、いろいろな人の支えで夢をあきらめずにやってこられた、旭川を世界に誇れる障害者スポーツの街にしたい、夏場の練習会場がないため苫小牧まで通っていることなどを話されました。
 両選手とも、障害のある子どもたちにスポーツを普及したい、旭川を障害者スポーツのメッカにしたいと熱く語り、大変な感動を与えました。
 報告会終了後には、両選手の周りに輪ができて、メダルの重みを確かめ合い、記念写真を撮る一幕もあり、議場が暖かい空気に包まれました。

2010年6月11日金曜日

表紙を替えても 政治の中身は変わらない


 鳩山首相と小沢幹事長が退陣に追い込まれ、菅内閣が発足しました。「いくら反小沢を演出しても、公約違反はかわらない、政治の中身が問われている」と街頭から訴えています。
 また、20日には大門みきし参議院議員を迎えての街頭演説会を予定していることから、宣伝にも一層力が入ります。
 一部のマスコミなどが「反小沢」で期待を膨らまそうとしていますが、「表紙ではなく、問われているのは政治の中身。鳩山前内閣は、普天間、暮らし、政治とカネの問題で国民の期待を裏切り、退陣に追い込まれました。菅内閣にはその反省と問題の打開の方向がみられません。
 菅内閣は、普天間基地問題では、沖縄・名護市辺野古に新基地を押し付ける日米合意を堅持する立場を公言しています。政治とカネの問題でも、小沢幹事長辞任により「一定の政治的なけじめをつけられた」と疑惑の真相究明に背を向ける姿勢です。民主党がクリーンな政治というならば、最低でも国会で真相を解明すべきではないでしょうか。

 大門みきし演説会
 6月20日(日) 正午から 一条買物公園

東光小留守家庭待機児の解消へ 党の提案実る


 市は、東光小学校の留守家庭児童会の待機者を解消し、臨時の児童会を設置するため、第二回定例会に補正予算を提出することになりました。
 党市議団では第一回定例会でのとや繁議員が取り上げ、新年度に留守家庭児童会の待機者が出ると指摘し、全市の実態を把握し、空き教室の利用など、緊急の対策を行うよう求めていました。
 しかし、新学期がはじまっても問題は解決されず、二年生、三年生の中で約七十人の待機者が出ている実態。特に東光小学校では、二、三年生の希望者十九人全員が待機状態になっていました。
 党市議団は五月二十五日、「留守家庭児童会の待機者解消を求める要望書」を市に提出し、高瀬善朗副市長は「早急に判断し、民間からの賃貸も含めて対応したい」と述べていました。今回の緊急対策は党の提案が実ったものです。

党の論戦で 国保料抑える

 今年度の国保料の納付通知書が間もなく発送されます。
 三月の予算議会で最高限度額が四万円引き上げられたことから、最高限度額に該当する世帯は大幅な引き上げとなります。
 また、それ以外の世帯でも国保料が引き上げられると見られていましたが、所得割、均等割、平等割のいずれの料率も若干引き下げられたことから多くの世帯では昨年と同程度の国保料で抑えられることになりました。
 これまでの日本共産党市議団の議会論戦で、病院窓口負担の減免制度の拡充、低所得世帯の二割軽減の継続、来年度は国保料の負担軽減に目に見える努力をさせたこと(市長答弁)に続き、今年度の国保料の引き上げも抑制させることができました。


2010年6月4日金曜日

ボストン東スクールジャズバンド 感動の連続!!

 アメリカのボストン東スクール(自閉症児の専門学校)の生徒達のジャズバンドを招聘し、地元の自閉症児との交流や旭川のジュニアジャズオーケストラと共演するコンサートなどが、5月28〜30日に開催されました。
 写真上は、コンサート終了後に全員集合。下の左は旭山動物園に案内。右はトロンボーンの仲間、その真ん中が日本を代表するトロンボーン奏者の片岡雄三さん。










 北海道とマサチューセッツ州との姉妹州二十周年の記念の年にあたることや、旭川市に発達障がい児の高等養護学校設置の運動が取り組まれている中で、ぴったりの取り組みになりました。
 5月30日に行われたコンサートには多くの市民が駆けつけていただき、迫力満点の演奏に酔いしれました。
 僕もトロンボーンで参加しました。隣に座っていたハリー君は演奏が始まってもなかなか集中しないので心配していました。しかし、自分の出番になると「カチン」とスイッチが入るように演奏する姿にとても感動しました。
 コンダクターの上野要先生は、演奏中でも一人ひとりに声をかけ、子どもの背中にリズムを伝えたり、「Good Job!」などと、身振り手振りでみんなを励ましていました。子ども達の真剣に取り組んでいる姿、どれをとっても感動の連続でした。

  音楽に国境はない
  みんなで仲良くなれる
  障害があっても豊に生きることができる
  ・・・まさに実感しました。

2010年5月26日水曜日

留守家庭児童会 待機者解消早急に

 5月25日、日本共産党旭川市議団として、西川将人市長に対し、「留守家庭児童会の待機者解消を求める要望書」を提出しました。
 のとや繁議員は、第1回定例会で、新年度に留守家庭児童会の待機者が出る学校があると指摘し、全市の実態を把握し、空き教室の利用など、緊急の対策を行うよう求めてきました。市は、「十分協議し、知恵をしぼり工夫しながら対応」すると答弁していました。
 しかし、新学期がはじまった中でも、問題は解決されず、二年生、三年生の中で約70人の待機者が出ている実態があります。特に、東光小学校では、二、三年生の希望者19人全員が待機状態になっています。
 子ども達の安全な放課後の生活を守るため、早急に留守家庭児童会の待機者解消を図るよう申入れました。
 高瀬善朗副市長は、「早急に判断し、民間からの賃貸も含めて対応したい」と述べました。


2010年5月25日火曜日

国保料の軽減を提案

 日本共産党市議団は、国保会計が単年度で11億円もの黒字になっていながら、毎年のように保険料を引き上げるのは、あまりにも市民生活に配慮がないと指摘し、「国保会計に一般財源を投入して国保料の負担軽減を図るべき」との内容で附帯決議を提出し、他の会派と無所属議員に賛同を呼びかけました。
 のとや繁議員が提案理由の説明を行いました。残念ながら無所属議員一人が賛成しただけで、他の会派と無所属議員が反対し否決となりました。
 しかし、質疑の中で、西川将人市長は「国保料の負担感は十分に受け止めている。目に見える努力をしていきたい」と述べ、来年度予算で国保料の軽減をはかる姿勢を表明しました。


2010年5月24日月曜日

わか葉まつり 寸劇などで盛り上がる

 5月19日、日本共産党後援会の「わか葉まつり」が行われ、400人を超える参加者、20店を超える出店や似顔絵コーナーなどで賑わいました。
 のとやブロックの出し物は、寸劇「格差と貧困子どもの日」に取り組みました。最初は「劇なんか出られない」と言っていた人も、終わって見れば「次は何をやるの」などと、すっかり調子が出てしまったようで・・・。
 楽しい一日でした。


何故アメリカに撤去を迫らないのか  千代田つどい

 4月29日、千代田地域で開催された「くらしと政治を語るつどい」に、参加しました。冒頭、真下紀子道議から情勢の焦点や道議会の報告がありました。
 のとや繁市議は、「民主党政治になっても、くらしも景気も少しも好くならないという声が広がっている。問題の根本には、アメリカや財界いいなりの政治姿勢がある。そこを変えない限り、政権交代を望んだ国民の願いは実現できない」と述べました。
 民主党が後期高齢者医療制度の廃止など公約を次々裏切っている、普天間のことはどこの県でもだめ、何故アメリカに撤去を迫らないのかなど、参加者からの意見が相次ぎました。


2010年4月20日火曜日

アイススレッジ銀メダル報告会

 4月18日、バンクーバーパラリンピックのアイススレッジホッケーで銀メダルを獲得した旭川在住の3選手らの報告会が、旭川障害者スポーツ振興支援会の主催で開催されました。永瀬充、三沢英司、伊藤仙孝の各選手には、西川将人市長から市民栄誉賞が贈呈されました。
 永瀬選手は「旭川の盛り上がりはバンクーバーにも届いていました。皆さんが自分のことのように喜んでくれるのが一番うれしい」と語っていました。
 のとや繁市議は、報告会の前に永瀬さんに声をかけましたが、「ブログでも応援していただきありがとうございました」と逆に感謝され、永瀬選手が銀メダルをかけてくれました。
 3選手には、文化スポーツ議員連盟(会長:のとや繁)で議場報告会を検討していることを伝え、協力を要請しました。

2010年4月13日火曜日

スー・ルートさんと上川総合振興局長を表敬

 4月12日、のとや繁旭川市議は、北海道と姉妹提携しているマサチューセッツ州の「マサチューセッツ州・北海道姉妹州協会」会長のスー・ルート(Sue C. Root)氏、真下紀子道議会議員とともに、窪田毅北海道上川総合振興局長を表敬訪問しました。
 旭川の音楽団体「ジャズマンス・イン・旭川」が、今年五月にボストン東スクール(自閉症児の専門学校)の生徒達のジャズバンドを招聘し、旭川のジュニアジャズオーケストラと共演する企画を進めています。
 これに関連しスー・ルート氏が、急遽、道知事に親書を渡したいということになり、市議会文化スポーツ議員連盟会長の能登谷繁市議と真下紀子道議が連携し、この日の表敬訪問を実現しました。
 ジャズマンスの村田和子代表は、「今年は、北海道とマサチューセッツ州との姉妹州二十周年の記念の年にあたることや、旭川市に発達障がい児の高等養護学校設置の運動が取り組まれている中、市民の中に大きく広げたい」と語りました。
 スー・ルート氏と窪田局長は、十四年前にもアメリカで挨拶したことがわかり和やかな懇談になりました。
 写真左から村田和子氏、のとや繁市議、スー・ルート氏、真下紀子道議、右端が窪田毅局長。

はたやま和也さんと東鷹栖の農家と懇談

 4月7日の夜、はたやま和也道政策委員長(参院道選挙区候補)とともに、東鷹栖の農家のみなさんと懇談しました。
 東鷹栖は旭川市で唯一、中山間地に指定されている米つくり中心の地域です。
先月末の暴風雪被害の後片付けや、春先の猫の手も借りたい時期にもかかわらず、10人の農業者が集まりました。
 写真左から、のとや繁市議、はたやま和也政策委員長、太田元美市議。


 「政権が変わって半年、みなさんの暮らしは変わりましたか」と切り出したはたやま候補に、新政権の農業政策などへの疑問、不安が次々出されました。「戸別所得補償モデル事業で、北海道は販売価格と生産費の差額、1俵12,300円が補償されると言うが、実際にそれだけ支払われるのかどうか疑問だ。」「年明けからコメの入札価格が下がってきている。『お前ら1万5千円あたるんだからいいだろう』と、さらなる買いたたきをされるのではないか」「やっと自民党農政を変えたのだからと期待したが、民主党農政は期待はずれだ」「猫の目と言われた自民党農政だったが、時限立法で3年間は続いた。その方がまだ良かった。民主の農政では来年のことが見えない」「まもなく、年をとってコメがつくれなくなる状況がくる。田んぼを売って老後の蓄えに、と考えてきたが難しい。政府は田んぼが売れるようにしてほしいし、耕作放棄地解消などの政策をしっかり立ててほしい」など次々と堰を切ったように出されました。
 はたやま候補は、「食料基地としての農村を守り自給率を向上させるために力を尽くしたい」と結びました。
 

2010年3月29日月曜日

暴風雪被害の支援措置 旭川市独自に20%助成を検討中

 3月29日、日本共産党旭川市議団として旭川市に対し「暴風雪による農業被害への支援措置」を求め、小松晃団長、のとや繁幹事長、太田元美議員、石川厚子市政相談室長が要望書を提出しました。藤田敏男農政部長、青山泰久農業振興課長が対応しました。
 市議団が26日に行った被害農家の調査では、「ハウスの建て替えに200万円かかる、1年間分の利益に相当する、これでは春からただ働きになる」という声や、「損壊したハウスの大半は水稲の育苗ハウスで稲の作付けに遅れが出かねない」、「ハウス資材も手に入りにくくなっている」、「共済だけでは経営継続への補填として不十分」など、様々な実態が浮かび上がりました。また、高齢化した農業者からは「今回の災害を機にやめざるをえない」という悲惨な声も上がっていました。
 市議団は、これらを踏まえて市としても早急な支援措置をとるよう求めました。
  藤田農政部長は、「平成16年の暴風雨の時と同じように、災害復旧対策の措置が必要。5月の連休明けには被害額が確定するが、市としては共済の対策に加えて20%助成の方向で検討している。前回の教訓からも、復旧作業を急ぐこと、必要な資材の確保も各農協にお願いしていく」と応えました。

暴風雪によるハウスの被害調査

  3月21日の暴風雪によって、瞬間風速が34?を越えた旭川市内では、ハウスの損壊が240戸で490棟にのぼっています。
 26日早朝、日本共産党旭川市議団は真下紀子道議とともには、被害農家を見舞いながら状況調査を行いました。
 東旭川共栄の農園では24〜25棟のハウスでねぎ、たまねぎなどの苗を作っています。暴風雪の中、被害を最小限にしようと様々対策をとったにもかかわらず、そのうち3棟が風で浮き上がり、ハウス用パイプがグニャグニャに曲がって無残に倒壊していました。
 農家の方は「建てかえの金額は1年分の利益に相当する。これでは春からただ働きになる。」と述べていました。
 「共済があっても全額補填にはほど遠い」「資材も手に入りにくくなっている」「水稲農家では間に合わないところも出るのでは」など営農への影響を懸念する声が出ていました。


2010年3月25日木曜日

第1回定例会閉会 のとや議員が反対討論

3月25日第1回定例会は本日閉会しました。
日本共産党を代表してのとや繁議員が反対討論に立ちました。以下、討論の内容を紹介します。

日本共産党は、議案第32号・平成22年度旭川市一般会計予算、議案第33号・国民健康保険事業特別会計、議案第38号・駅周辺開発事業特別会計、議案第43号・後期高齢者医療事業特別会計に賛成できません。以下、簡潔にその理由を述べます。

■ 平成22年度予算について、市長は、交付税の増額などで一息ついた予算と述べました。しかし、一方で国民健康保険料は大幅な引き上げになります。この議会の中では、旭川市の国民健康保険が全道一高い保険料であり、また黒字を出していながら引き上げになることが明らかになりました。西川市長になってから毎年の大幅引き上げであり、市民の負担は限界を超えています。全体の予算が増額になっている中で、何故、国保だけ厳しい措置になったのか理解できるものではありません。
また、国が旭川市に対し、地方分権に反する不当な指導を行い、市独自の二割軽減措置を廃止させようとしたことが明らかになりました。参議院厚生労働委員会で日本共産党の小池参議院議員の質問に対し、長妻厚労相は「自治体の自主性と自立性に配慮を欠いたものになる恐れがある、地方厚生局に注意を促す」と答弁しました。これを受けて西川市長は総括質疑で「重く受け止める」と答弁し、事実上軌道修正せざるをえないことになりました。
いづれにしても、市内経済の状況や市民生活にしっかり配慮した施策が求められています。
■ 鉄道高架事業については、これまでの議会答弁では「工事費、過年度も含め精査する」としてきたにもかかわらず、新年度予算では具体的な取り組みが見えません。
それどころか、平成22年度予算審議の現在においても、新年度予算の積算根拠までは明らかになっておらず、適切かどうか判断することさえ不可能であり、議会意思を尊重した予算提案とはなっていません。
また、北海道と旭川市の負担割合は50対50に定められています。しかし、新年度の旭川市の負担割合が63.7%であり、過年度分を支払っていることは明らかであり、地方自治法の精神に反する「禁じ手」に手を染めた「脱法行為」と言わなければなりません。 
市長が「反省している」「望ましくない」というのであれば、コンプライアンス違反の状況をただちに解消する手立てを取る必要があります。
■ 北彩都あさひかわの土地利用については、これまでの議会答弁では、既存商店街と同種の機能はつくらない、大型店は必要ない、JR所有する土地でも協定などを行うとしてきたことが再確認されました。しかし、実際にはこの立場では何も対策が取られていないことが明らかになりました。
それどころか、西川市長は、賑わいになれば何でも歓迎するかのような発言にいつの間にか変わっています。商店街のみなさんや市民の中から「話が違う」と言われてもしかたがない状況を、旭川市自らがつくってきました。
これまでの対話の内容を一方的に変更するのは、「対話重視」以前の問題ではないでしょうか。
今からでも、既存商店街や広範な市民と十分な議論をつくし、中心市街地の活性化の方向を見定めていくこと、北彩都あさひかわの土地利用のルールを定め、莫大な税金を投入してつくった本来の利用目的に沿った使われ方になるように、積極的なコントロールをおこなうことが、事業執行のうえで急務であると言えます。

■ 後期高齢者医療制度については、保険料の引き上げにより、4月から一人あたり3,102円の負担増になり、高齢者の生活をさらに圧迫するものとなります。
昨年の総選挙の結果によって、制度自体が廃止になる、保険料の負担が軽減されるという、高齢者の期待に反するものになりました。市としても特段の配慮がありません。
大綱質疑で、西川市長が市民負担のトリプルアクセルを踏んだことを紹介しました。これまでも指摘したとおり、JRが喜ぶ鉄道高架事業に70億円もの増額をしたために、市内業者が参入できる土地区画整理などを削らざるを得ないことになりました。疲弊する市内経済に配慮がないと言わざるを得ません。
国民健康保険料を毎年大幅に引上げて、全道一高い保険料にしたことも、格差と貧困に苦しむ市民生活に配慮がない結果となりました。
財政再建を優先するあまり、市民のくらしや市内経済を置き去りにしてはならない、くらしも財政も立て直す方向性に切り替える必要がある、ということを申し述べて、日本共産党の反対討論とします。

2010年3月22日月曜日

銀メダルおめでとう  アイススレッジで日本初

3月21日、バンクーバーパラリンピック、アイススレッジホッケーで日本チームが念願の銀メダルを獲得しました。日本チームとしては初めてのメダルを手にしました。
おめでとうございます。
これまで日本チームは何度も旭川で合宿を行い、市議会文化スポーツ議員連盟(会長・のとや繁)としても応援してきました。
旭川からは永瀬充、三澤英司、伊藤仙孝の3選手が日本代表としてバンクーバーで頑張りました。
先日開かれた文化スポーツ議員連盟の役員会では、議場での報告会も含めて、健闘を讃えたいと議論になりました。
写真は昨年の夏、おぴった祭で交流した時のもの。真ん中の車イスの方が日本代表の守護神、ゴールキーパーの永瀬充選手です。

歩くスキーを身近に  東光スポーツ公園などでも可能に

 3月の議会中のある朝、家の前で雪かきをしていると、近所の方が歩くスキーをかついで行きました。声をかけると河川敷まで行くとのことでした。
 のとや繁議員は、東光スポーツ公園など身近な公園を冬期間でも利用できるようにできないかと、これまでも指摘していましたので、早速、予算議会で質問しました。
 バーサー大会が開催されたが、参加者が減っているのは残念なこと。もっと裾野を広げ、市民が身近に楽しめるようにすることが大事ではないか。公園などの外周や歩道を歩くスキーで使えるようにできないか。
 長谷川明彦社会教育部長は、「東光スポーツ公園については、担当の土木部と協議し、冬期間の施設の有効活用の観点から、歩くスキーコースを整備したい」と答弁しました。


留守家庭児童会の待機者  東光小などの対策急げ

 のとや繁議員は、今回の議会で、留守家庭児童会の待機児童の問題を取り上げました。
 例えば東光小学校では、留守家庭児童会の定員が八十名ですが、新一年生の希望者だけでも六十三人、三年生まで合計すると一一八人、待機者が多数出ることになります。
 東光小学校では近くに団地が造成され人口が急増していますので、子ども達が増えるのも当然です。
 のとや議員は全市の実態を把握し、空き教室の利用など緊急な対策を行うこと、子育て支援部と学校教育部がバラバラでは対応できないと指摘しました。
 市は、「十分協議し、知恵をしぼり工夫しながら対応」すると答弁しました。


オール旭川で総合的な運動を  発達障がい児の高等養護設置

 3月9日の市議会大綱質疑では、のとや繁議員が発達障害児の高等養護の設置について、期成会もできた中で、今後はオール旭川での総合的な運動展開が必要になると指摘しました。
 この問題が市議会で議論になったのは、2008年第一回定例会の大綱質疑で、のとや議員が取り上げたのが最初でした。
 のとや議員は、旭川市の近郊の高等養護学校には、知的障がいや肢体障がいの重い子らが多く、知的障がいや肢体障がいがない発達障がいをもつ子らは、遠く離れた美深や小平、雨竜などの高等養護学校へ行くしか選択の余地がないと指摘し、「何故、北海道第二の都市に発達障害を受け入れる高等養護がないのか、旭川市は医療や福祉の機能も充実しているのに、何故、高校生活だけ遠くの学校で切り離されるのか」と、北海道に強く働きかけるべきではないかと改善を求めてきました。
 その後二年間、議会では多くの議員がこの問題を質問するようになり、お母さん方の運動が広がり、10万筆を超える署名運動に発展し、現在は西川将人市長を会長とする期成会もできました。
 今後は様々な立場の違いを超えて、オール旭川での総合的な運動展開が必要になります。
 この運動とも連動して、アメリカで自閉症児の専門教育を行っているボストン東スクールのジャズバンドを、今年の五月に呼ぶ企画が進行しています。北海道とマサチューセッツ州の姉妹提携20周年にもあたり、様々な分野から期待が高まっています。
 高等養護設置の運動は、旭川の子が、旭川で学び、旭川で生きていける、「地域で共に生きる」ということをしっかり活かした運動をすすめていくべきではないでしょうか。


特別支援学級が全校に  学校全体で支援体制を

 昨年、東光小学校に通う児童のお母さんから相談があり、子どもが別の学校の特別支援学級に通うため授業の途中で抜ける、戻るときも途中で入るので大変、しかも親が送迎しなければならない、自分の学校に特別支援学級を設置してもらえないかと相談がありました。
 早速、対象児童のお母さん達に集まっていただき教育委員会への申し入れを行いました。
 また、のとや繁議員が第二回定例会で取り上げ、新年度から、原則として小学校全校に特別支援学級が設置されることになりました。
 のとや議員は、3月18日の予算分科会でも取り上げ、全校設置になる中で、学校の基本的スタイルとして確立すること、普通クラスとの十分な連絡調整を行うよう質疑し、学校教育部からは「学校全体として支援を行う体制の充実を図る。担任等が密接に連携を図り交流や共同学習に取り組み、理解をさらに深める」と答弁がありました。


2010年3月16日火曜日

春のつどい 参院選勝利めざし交流

3月14日、のとや繁市議の活動地域の後援会合同で「春のつどい」が開催され、84人が参加しました。
来賓として出席した旭川市後援会の水島能裕事務局長は、夏の参議院選挙で日本共産党と「はたやま和也」の勝利にむけて今から対話を広げようと訴えました。
予算議会の真最中に駆けつけた真下紀子道議、能登谷繁市議、それぞれから議会報告を受け、おいしい食事と、後援会ごとのうたや踊りなど楽しい企画でひとときを過ごしました。
特に、千代田後援会の「格差と貧困、ひな祭り」の寸劇では、議員の飛び入りもあり、笑いと喝采であふれました。
写真は、寸劇「格差と貧困ひな祭り」に飛び入り参加した真下紀子道議(マイク)、のとや繁市議(右)。

2010年3月15日月曜日

留守家庭児童会が定員オーバー

 家の近所にある東光小学校に通う児童のお母さんから電話がありました。
 昨年も連絡があり、子どもがとなりの学校の特別支援学級に通うため、授業の途中で抜けて、戻るときも途中で入るので子どものストレスが大変、しかも親が送迎しなければならず負担が重い、自分の学校に特別支援学級を設置してもらえないかと相談がありました。
 対象児童のお母さん達に集まっていただき、お話を聞かせていただき、教育委員会への申し入れ、議会質疑を通じて、新年度から小学校全校に特別支援学級が設置されることになりました。
 今回の電話は、そのことに対する喜びの声とともに、さらに別の相談が寄せられました。近くに団地が造成され人口が急増し、新年度に入学する1年生が増えたため「留守家庭児童会」が定員オーバーになり、待機者が出ているとの情報でした。
 すぐに実態を調査し、改善できるように取り組みたいと思います。


2010年3月11日木曜日

ワンストップ・サービスの常設化を検討

 のとや繁議員は、3月9日の旭川市議会大綱質疑に立ち、旭川市が年末年始の休み返上で取り組んだ「ワンストップ・サービス」の常設化を求めました。
 市は「関係機関と協議しながら支援体制について検討する」と回答しました。
 ワンストップサービスは、2009年12月の議会で、のとや繁議員が「旭川に死ぬために帰って来た」と言う相談もあり、年末年始に失業者が寒空のもと路頭に迷うことがないよう、一ヶ所で相談できるワンストップサービスを市の責任で取り組むべきではないか」という質問に答えて実現したものです。
 市は、12月30日から1月4日、午前9時から午後5時まで、生活保護、生活つなぎ資金、住宅手当などについて、相談に限らず申請の受付を実施するよう対応しました。社会福祉協議会やハローワークも含めて1ヶ所で相談できるように配置しました。


生活つなぎ資金の改善

 のとや繁議員は、3月9日の旭川市議会大綱質疑に立ち、生活つなぎ資金の貸付の手続きについて、現行では民生委員の記名・押印が必要とっているために居住地まで戻る不便さや、一日・一世帯1000円の貸付金額とする内規での運用が生活実態に合わないことを指摘してきました。
 宮森雅司福祉保険部長は、「民生委員の記名・押印については、廃止の方向で検討する。一日当たりの貸付額については、世帯構成に応じた額を支給する等、見直しを検討していく」と答弁しました。


2010年3月4日木曜日

自閉症児のジャズバンド、ボストンから招聘

 「ジャズマンスイン旭川」の実行委員会で、今年5月28〜30日にかけてアメリカの自閉症児教育の専門学校である「ボストン東スク−ル」の生徒のジャズバンドを招聘することを決定しました。
 10年前にもきていただき大変好評でした。今年は北海道とマサチューセッツ州との姉妹提携20周年にもあたり、しかも旭川の発達障がい児の高等養護学校誘致運動にも連動する取り組みとして、期待されています。
 日本在住のプロ演奏家、椎名豊(p)、ルイス・バジェ(tp)、広瀬潤次(ds)、佐々木義生(b)が応援に入り、さらにトロンボーンまたはサックスを要請する予定です。
 地元のジュニアジャズオーケストラとの競演も楽しみです。

 市民むけのコンサートは5月30日の午後から行う予定です。乞うご期待!

2010年3月2日火曜日

のとや繁の大綱質疑は3月9日

のとや繁の大綱質疑は3月9日(火)午後1時からになりました。主な内容は以下のとおりです。

■ 2010年度各会計予算について
くらしも財政も立て直す予算編成の方向性
市長の政治姿勢について
■ 格差と貧困から市民を守る取り組み
市民のくらしを守る取り組み
医療、福祉の充実について 
■ 元気な旭川をつくる取り組み
まちづくりについて
経済・産業の振興
雇用対策について
■ 安全安心、環境対策について
■ 子育て、教育の充実について
■ 文化・芸術・スポーツの振興について

2010年3月1日月曜日

僕があげたい金メダル

 フィギュアスケートの女子は感動しました。金ヨナさんと浅田真央さんの闘いはすごい、レベルが高いですね。安藤美姫さんも頑張りました。
 そういうなかで僕が一番感動したのは、鈴木明子さんでした。ウエストサイドストーリーの音楽にぴったりの演技。特に終盤、曲がマンボ調に転換した後、手をグルグル回しながら弾けてしまい、ノリノリというよりは爆発したという感じでした。演技が終わった後も、感動がおさまらず、震えがとまらないという有様。
 すごい迫力!僕があげたい金メダルは鈴木明子さん、あなたです。摂食障害を克服し良く頑張りました。

 次の日の新聞を見て、またビックリ。五輪目前の2月に入って、ウエストサイドストーリーでアカデミー賞の助演男優賞に輝いたジョージ・チャキリスから鈴木明子さん宛てに手紙が届いた。「時がたっても受け継がれていることがうれしい、オリンピックの成功を祈る」という内容でした。手紙を見た鈴木さんは、悩んでいたジャンプのことなんてどうでも良くなった。こうして自己ベストが生まれたとわかりました。
 なるほど!すごいストーリーですね。

2010年2月5日金曜日

参院選勝利へ  2010年新春のつどい  

   
 日本共産党旭川地区委員会と同後援会は1月26日、2010年「新春のつどい」を開催しました。
 武藤孝司地区委員長は「名護市長選の勝利を力に、旧来の政治の『二つの異常』をただし、党綱領が示す『国民が主人公』の新しい日本への改革をめざしましょう」と訴えました。
 来賓の高瀬善朗旭川市副市長からは「共産党の市議さんの論戦力には常日頃から感心しています。ヒブ・ワクチンは市で助成にむけて検討中です」とのあいさつがありました。
 はたやま和也参院道選挙区候補は「三年前1歳だった娘は4歳になり、家の中でも『日本共産党をよろしく』と、比例を軸に訴えています」と場内に笑いをさそいながらも、「参院選での大門みきし議員の再選と北海道での議席獲得のために全力をあげます」と力強い決意が述べられました。
 朝からの猛吹雪の悪天候のなか、子ども連れで参加した人など、114人が参加し、なごやかにおいしい料理に舌鼓を打ちながら、参院選への健闘を誓い合いました。


2010年1月21日木曜日

25回党大会、感動の連続

 1月13〜16日まで、日本共産党第25回大会が熱海市で開催され、のとや繁も代議員として参加させていただきました。
 昨年の総選挙は国民の意思によって政権を交代させました。その歴史的な時期に開かれた党大会であり、練り上げて決定した大会決議も全国の代議員の発言も感動の連続で、貴重な経験になりました。
 旭川からは、武藤孝司地区委員長と高橋諒多さんと3人で参加。写真右は高橋さん、しんぶん赤旗日曜版に載った自らの記事を手に持っています。
 会場までは毎日40分くらいの山登り、旅館の中も階段だらけで、しかも雑魚寝。日頃運動不足の私には苦行・荒行のような毎日でした。しかし、内容は感動の連続、まさに歴史的な瞬間に立ち会った気分です。 この大会に参加できたことに、心から感謝しております。


 大会決議の内容については日本共産党のHPを参照してください。私の感想を若干紹介したいと思います。
 私が、一番震えるほど感動したのは来賓挨拶でした。財界の本丸である経済同友会の終身幹事で、今は全国革新懇の代表世話人にもなっている品川正治さんのご挨拶です。
 品川さんは「このような激動の時期に第25回党大会を開かれることに敬服しております。今年86歳になりますが、ついにやってきたなと感じます。」と切り出しました。「行き過ぎた大企業依存、アメリカ依存、その根底には『反共』というものがありました。このことが、いま大きく変わり始め、反共がはっきり崩れていこうとしています」と述べ、「2010年代の初めに、どういう態度、姿勢をもっていくか、共産党は非常に大きな前途をここではっきりと確認していただきたい」、「反共は恐れるに及びません。これは国民がついてこない。そういう時代になりました」という、すばらしいご挨拶でした。
 私が特に感動したのは「自信をもって自分達の出番と思ってほしい。十分な論議をつくし、自分達の『立ち位置』をはっきり自覚して行動してほしい」という言葉でした。
 さすが経済界の大物、凄みがある。大きな声を出すでもなく、86歳にふさわしく、ゆっくりと落ち着いた話し方ですが、私には「立ち位置を自覚してさっさと行動せい」という恫喝にも聞こえました。
「自民党政権の支配の重石もとれて、反共も崩れて、大激動になっている。いまこそ共産党の出番だ、ぼやぼやしている場合ではない」と、背中を押されたというか、叱咤激励されたような気持ちになり、率直に言ってシビレました。
 もう一つ来賓あいさつを紹介すれば、全国農業協同組合中央会、いわゆるJA全中から初めて来賓が出席しました。当日は全中の理事会が開催中だったので茂木守会長が出席できないということで、冨士重夫専務理事が出席し会長のあいさつを代読しました。茂木会長は「再生産可能な価格保障と所得補償、国境措置の維持・強化、日米FTA反対、食料主権の確立、こうした方向はわれわれのめざす方向とまったく同じであり、心強い限りです」というメッセージを寄せられました。
 昨年のJA全中の総会で志位委員長が挨拶し、森林組合の大会でも挨拶しました。その後、わが党と農協や森林組合との交流、対話のなかで、「農家の気持ちが一番わかるのが共産党」という評価が広がっているという代議員の発言もありました。
 農協との懇談会の会場に行ってみると、「共産党との懇談会」の立派な看板がかかっていたという発言もありました。いまや誰の目もはばかることなく自由な交流が、いろいろの団体とできる時代になったと実感しているという発言が相次ぎました。
 代議員の発言もすばらしいものばかりでした。どの発言も国民が新しい政治への探求を本格的に始めている、情勢の前向きの劇的な変化がおきている状況が、生き生きと語られました。
 福岡県・北九州市の市議会議員の発言では、生活保護が受けられずに「おにぎり食べたい」と言って餓死した事件が起きた経験から、昨年の9月から街頭に出て、国民のSOSを受けとめる「夜回り相談」をしている、しかも相談者がいまは共産党に入党し、夜回り相談を手伝っているという報告がありました。ホームレスだった人は「共産党に助けられた。今度は自分達が困っている人をたすける番だ」と頑張っているとのことでした。
 
 熊本県・上天草市の代議員は、「前回の市議選は30票差で次点に泣いた。以前は、『宮下さんは良か人ばってん、共産党だけんなあ。無所属で出たらトップ当選ばい。無所属で出なっせ』とよく言われた。まだ共産党アレルギーがあった。それが今度の選挙では『共産党でないといかん』と言われるようになった。今回選挙では得票を3倍にしてトップ当選をかちとったと、情勢の劇的な変化を語りました。熊本県というのは、保守の地盤が強かったところですけれども、そこで「反共の壁」がガラガラと崩れている様子が語られました。
 
 これらの情勢の変化は、自然におこったのではありません。党と国民とのスクラムを組んでの闘いによって新しい情勢は開かれてきた。代議員の多くの発言で、そのことへの確信が語られ、そして闘いをつうじてたくましく成長する姿が語られました。
 もう一つの感想は、若い代議員の発言がめだっていたことがあります。「これからの党をになうのは自分たち」という意気込みでした。
 京都市の19歳の学生代議員、福島県の33歳の県常任委員、兵庫県の選挙区候補の37歳の代議員、山梨県の富士河口湖町(ふじかわぐちこまち)に移住して町議会の空白を克服した31歳の代議員、香川県・小豆島・土庄町(とのしょうちょう)に高松から移住して空白克服のために奮闘している31歳の同志、福井県の福井市議会議員の31歳の代議員、沖縄県の浦添市議会議員の28歳の代議員と、若い人たちが次々と、明るく、元気に闘いの展望を語りました。
 
 本当に感動の連続でとても語りつくせませんが、なんとしても2010年代を、党建設の面でも、歴史的前進を党史に刻む時代とするために全力をあげたいと、決意を固めて帰ってきました。当面する参議院選挙でも先頭にたって闘いたいと思います。
 また、中央委員会報告の中で圧巻だと思ったのは、志位委員長が日米関係を「平等かつ公正」な関係を打ち立ててこそ、米国は真の尊敬がえられると踏み込んだところです。一部要旨を紹介します。
 「米国内では到底許されないことが日本では横行している在日米軍の実態、ドイツと比較しても治外法権としかいいようのない日米地位協定による特権、そして日本国憲法へのあからさまな侮辱と改定要求――どれ一つとっても、『対等なパートナー』とはほど遠い従属的実態があることは、何人といえども否定できないのではないでしょうか。大統領がのべた「対等なパートナー」という言葉が真実のものであるならば、これらの異常な従属的関係は、すみやかにただされるべきではないか。この立場から、日米安保条約を廃棄し、それに代えて対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。これがわが党綱領に明記した21世紀の日米関係のあるべき未来であります。
 私たちは、マルクスがリンカーン大統領再選にあたって送った祝辞のなかで、「偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、18世紀のヨーロッパの革命に最初の衝撃が与えられたほかならぬその土地」と呼んだ、アメリカの偉大な歴史に深い尊敬をもっています。そして、リンカーンが、翌年、マルクスにあてた礼状のなかで、合衆国はすべての国家にたいして「平等かつ厳格に公正」な関係をうちたてることによって、「世界中の尊敬」を求めるという立場を表明したことを、あらためて想起しています。
 米国は、すべての国ぐに、そしてわが国との間に、リンカーンがのべたように、「平等かつ厳格に公正」な関係を打ち立ててこそ、世界諸国民、そして日本国民から、ほんとうの尊敬をかちえることができることを、私は、強調したいと思います。
 日本共産党25回党大会決定は、まさに、外交問題の根幹の問題についても明快な道筋を示したものになっていると確信しました。これは本来、日本政府が解明すべき問題ではないでしょうか。
 圧巻でした。(能登谷繁)

2010年1月19日火曜日

パラリンピック・クロスカントリー大会が旭川で開会

 ジャパンパラリンピック・クロスカントリースキー大会が1月9、10日旭川市で開催され、8日に開会式が行われました。
 写真は、バンクーバーパラリンピックの日本代表が紹介された場面です。
 旭川市からは西川将人市長と、市議会文化スポーツ議員連盟会長としてのとや繁議員が来賓として出席しました。

2010年1月7日木曜日

新年交礼会で挨拶

 5日、旭川市と商工会議所が共催の新年交礼会に出席しました。各界の代表と挨拶させていただきました。
 厳しい経済状況の中ですが、なんとか旭川を盛り上げていこうという熱気につつまれていました。
 写真は左から高瀬善朗副市長、のとや繁市議、武藤孝司共産党地区委員長、石川厚子共産党事務所員、佐々木卓也副議長。


街頭から新年の挨拶

 日本共産党旭川市議団は5日の仕事始めにあわせて、中心街二ヶ所で街頭から新年の挨拶を行いました。市議団それぞれがマイクを握り、政権が変わった中での日本共産党の役割や、参議院選挙にむけての決意などを語りました。
 左から、小松晃団長、佐々木卓也副議長、のとや繁幹事長、太田元美議員です。

2010年1月6日水曜日

現実政治を前に動かすために全力!

 新年あけましておめでとうございます。今年も市民のみなさんと力を合わせて、市民のくらしや、地元の仕事を守るため全力で働きます。
 昨年の総選挙では国民の意思が示され、自民党・公明党の政治が退場になりました。政権が変わっても、市民のくらしも地元の仕事も「一向に良くならない」というのが、実感ではないでしょうか。
 格差と貧困の根源である「労働者派遣法の抜本改正」や、「後期高齢者医療制度の廃止」など、国民の切実な願いはなかなか実行されません。政治と金の問題でも、鳩山さんも小沢さんも説明責任を果たさないでいます。
 政権が代わっただけでは政治は変わりません。特に軍事費や大企業優遇の政治にしっかりとメスを入れる必要があるのではないでしょうか。
 今年は参議院選挙の年です。日本共産党は、政権交代をせまった国民の意思をしっかりと受けとめて、「現実政治を前に動かす」ために、全力で奮闘する決意です。


 この年末年始、やっとの思いで年越しをしたという人が沢山いらっしゃいます。また、派遣切りなどで「旭川に死ぬために帰って来た」と言う相談も寄せられています。私は、12月の議会で、年末年始に市民が寒空のもと路頭に迷うことがないよう、市に相談窓口の設置を求めました。
 市はこれに答えて「一人の痛ましい犠牲者も出さぬように年末年始のワンストップ相談窓口を実施する」と決断したものです。この間に合計60人の方が相談に見えました。生活保護の申請や、生活つなぎ資金の貸付、労働相談など多岐に渡る相談があり、市民からは「相談出来ることがありがたい」という声が寄せされています。
 年末年始のお休み返上で取り組んだ関係者のみなさん、市の職員、ハローワーク、社協のみなさんに感謝もうしあげたいと思います。
 日本共産党は引き続き、働く人や国民の苦しさを軽減するためにがんばります。困った時は日本共産党にご相談ください。今年もどうぞよろしくお願いいたします。