今年は開催にあたり、それぞれの実行委員会から連帯のメッセージを交換し合いました。また、多磨霊園の今野家のお墓が、維持管理する遺族との連絡が途絶え、墓の存続が心配されている中で、遺族探しや存続のための任意団体づくりの課題が急務となっていることなど、今後双方で連携しあうことも報告されました。
写真上は、参加者で記念撮影。下は運営委員会からの報告をするのとや繁。
旭川の大力祭運営委員会代表の能登谷繁は、「今野大力の生涯は、絶対的天皇制権力の弾圧に屈せず、侵略戦争に反対し、平和と民主主義のたたかいであり、また、家族を愛し、花の詩人とも言われたものでした。しかし、旭川の第二師団からイラクへ派兵されたことや、自衛隊の情報保全隊が第二師団にも存在し、市民の活動を監視していることを知ったら、大力はどんなに嘆くでしょうか。再び軍靴が響く街になるのだろうか、旭川市の平和通が師団通に逆戻りしないか、自衛隊員の母はどんな想いでいるのか、さぞかし胸を痛めることだろうと思います。憲法を変えてはいけない、特高や憲兵が蠢く暗黒政治を復活させてはならないと、駆け出したことでしょう。後に続く私たちが、いまこそ大力たちの生きた時代とその闘いを生かす時だと決意し、今度の参議院選挙でも、安倍政権の国民いじめの暴走とそれに追随する勢力にしっかりと審判を下すため、力の限りたたかいたい」と挨拶しました。
今年の碑前祭の詩は、遺品の原稿の中から発見された「たたかひの中に」を朗読しました。大力祭の栞に掲載された大力研究家の佐藤比左良氏の解説では、「旭川から家族を呼び寄せた1933年頃の作品」、「憲法九条を踏みにじり、高齢者や障がい者など弱いものいじめをする者たちを、大力は絶対に許しません」と記されています。
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